苦難にあえぎ、私の霊が衰え果てているときにも
人の子は、仕えるために、
また、多くの人の身代金として
自分の命を献げるために来た。マタイ20:28(3/29の週の聖句)
私の霊がなえ果てているとき、
私がどのような道に行こうとするか、
あなたはご存じです。詩142:4
私たちの主イエス・キリストの父である神、
慈愛に満ちた父、慰めを豊かにくださる神がほめたたえられますように。
神は、あらゆる苦難に際して私たちを慰めてくださる。Ⅱコリント1:3~4
マルコ10:35~45
詩102(通読箇所)
(ローズンゲン日々の聖句3/29;Ⅴ日曜)
【独り子なる神】が、人間イエスとして人の世に来られたのは、
王となって人々から仕えられるためではなく、人々に仕え、
多くの人のための贖いの代価、身代金として
自分の命を私たちに与えるためだったのだそうですね。
この方は、私たちが苦しみ、
私たちの霊が私のうちで衰え果てているときにも、
私が行く道をよく知っておられ守ってくださるのだそうです。
【父である神】が私たちのあらゆる苦しみ、どのような苦しみの中にいるときにも、慈愛をもって慰めてくださるのだそうですから。
「神の一人のようになろうとして善悪を知る者」となっていて(創世記3:5、22)、
神の創造の目的(創世記1:26)から「的外れ」になっている私たちの〔生まれたときからの私〕という霊から出て来る思いは、
人よりも先に立つ者に、
人よりも上に立つ者になりたい思いなのですね。
イエスの12弟子たちがそうであったように。(マルコ10:35~41)
けれども、【父である神】は、
この【独り子である神】、人となられたイエスが
十字架刑での処刑を受けて、いのちを献げてくださったことにより、
私たちのその〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑が終わっているもの、死んだものと
手続きしてくださっているのだそうです。
その上で、私たちにもう一人の方、
【聖である霊】と呼ばれる方を派遣してくださって、
この方の働きによって私たちの心にご自身の御思いを置き、
私たちの内にご自身の御思いがあるように
してくださるのだそうです。
受け入れる者が
ご自身と一つ思いになって生きることができるように、と。
それで、私たちのうちにも、
えらくなりたいと思う者は皆に仕える者に、
人の先頭に立ちたいと思うものは、
皆のしもべになる(マルコ10:42~44)思いが
来るようになるのだそうです。
苦難にある人を慰める者ともしてくださって。
今日も。
(近くの教会を知りたい等の方、
また、婚活で広く出会いを求めたい、
教会に行っていないけれど、
葬儀をキリスト教でしたい、
等の方、
お問い合わせは、
shkhknsyg4@yahoo.co.jpへどうぞ。)
〈日本仲人協会 https://www.omiaink.com/ 認定〉
〈(復活社 http://www.sougi8849.jp/index.html 〉
神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、と、イエスは
主が望まれるのは主を畏れる人、
主の慈しみを待ち望む人。詩147:11
イエスの言葉:
神の御心を行う人こそ、
わたしの兄弟、姉妹、又母なのだ。マルコ3:35
ヨハネ14:15~21
マルコ13:28~37(通読箇所)
(ローズンゲン日々聖句3/28;土)
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)は、
ご自身を畏れる人、
ご自身の恵み、慈しみを待ち望む者を
望んでおられるのだそうです。
だから、イエスは言われるのですね。
【父である神】の御思いのとおりに生きる人こそが、
わたしの兄弟、姉妹、又母なのだ、と。
私たちは、自分の力で
神の御思いのとおりを生きることはできない者なのですね。
神は、私たち人間を
「われわれのかたちとして、われわれの似姿に」と思われて、
そのように造られたのだそうです。(創世記1:26)
【父である神】、【御子である神】、【聖である霊】と呼ばれる神が、
それぞれ、全知、全能、永遠不変の方でありながら、
【御子である神】も【聖である霊】と呼ばれる神も
自分だけの思いで動くのではなく、
愛のゆえに、自由意思で自発的に
【父である神】の御思いと思いを一つにし、
【父である神】の御思いが成ることを望まれ、
そのように生きておられる方なのだそうです。(ヨハネ6:38、8:28、16:13)
【父である神】と思いを一つにして(ヨハネ17:21)
そして、それと同じ関係の中を生きる者をと願われて
私たち人間を造られたのだ、と。
しかし、最初の人、アダムとエバは、
その造られた場にいることに満足せず、
もっと自分を高い者にしようとして、
「神のひとりのようになり、善悪を知る者」となることを
選び取ったのだそうです(創世記3:5、22)。
神と思いを一つにする者の場を捨てて、
自分の理性の判断で善悪を決めていく」、
神に対立、対抗する、
神の創造の目的から「的外れ」になっている者に。
その私たち人間が自分の努力で
神と思いを一つにしていくことは、無理なことなのだそうです。
それで、【御子である神】が、人間イエスとして人の世に来られ、
すべての人間の背き、「的外れ」の責任をご自身に負い、
私たちが受けるはずの十字架刑での処刑を受け、
死んで葬られてくださったのだそうです。
【父である神】は、このイエスの受けられた処刑を
私たちの処刑とみなしてくださって、
「的外れ」になっている
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑が終わったこととし、死んだものとしてくださるのだそうです。
その上で、【父である神】は、
イエスを通して、【聖である霊】と呼ばれる方を
私たちに派遣してくださって(ヨハネ14:16)、
この方によって私たちの心にご自身の御思いを置いてくださり、
私たちの心にご自身の御思いがあるようにし、
私たちがご自身と思いを一つにして生きることができるように
してくださっているのだそうです。
それで、この生き方を受け取った者たちを、
イエスは「私の兄弟、姉妹」と呼んでくださるのですね。
私たちもこの方に尊敬と畏れをもって、
慈しみと恵みを待ち望んで。
今日も。
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私たちの心を探り、はらわたを究める方が
人の心は何にもまして、
とらえ難く病んでいる。
心を探り、
そのはらわたを極めるのは、
主なるわたしである。
それぞれの道、
業の結ぶ実に従って報いる。エレミヤ書17:9~10
私たちは自分が
真理に属していることを知り、
神の御前で安心できます。
神は、私たちの心よりも大きく、
すべてをご存じだからです。Ⅰヨハネ3:19~20
ヨハネ16:16~23a
マルコ13:24~27(通読箇所)
(ローズンゲン日々聖句3/27;金)
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)が言われるのですね。
「人の心は何よりもねじ曲がっていて、とらえ難く、
それはいやし難い。
その腹、はらわたを究め、知り尽くすのは、
【主】であるわたしである。
わたし、【主】が心を探り、心の奥を試し、
それぞれの生き方により、行いの実に従って報いる」と。
そのすべてをご存じの神が
大きな心をもって私たちを見ていてくださるのだそうですから。
私たちを真理であるイエスに属しているものとし、
神の御前で安心できるようにして。
今は嘆き悲しんでいる私たちを
喜びにあふれさせてくださって。(ヨハネ16:16~23)
イエスは、雲のうちに、
偉大な力と栄光と共に来てくださるのだそうですから。
地の果てから天の果てまで、
選ばれた者たちを四方から集めるために。(マルコ13:24~27)
今日も。
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自分の罪悪を、イエスの御前に言い表して
私は自分の罪悪を言い表そうとして、
犯した過ちのゆえに苦悩しています。詩38:19
神の御心に適った悲しみは、
取り消されることのない救いに通じる
悔い改めを生じさせます。Ⅱコリント7:10
Ⅱコリント4:11~18
マルコ13:14~23(通読箇所)
(ローズンゲン日々聖句3/26;木)
私たちは自分の罪、犯した過ちのゆえに
苦悩し、不安になるのですね。
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)は、
それをご自分のところに持って来て、言い表すよう、
願っていてくださるのだそうです。
ご自身の側で、そのことで問われる刑罰のすべてを
御子の上に負わせて処刑し、
私たちへの刑罰は終わっているものとして、
受け取ってくださるのだそうですから。
私たちが自分の罪、
自分の「的外れ】のために起こる過ちを悲しみ、
それを天の神、【主】に持っていき、言い表していくなら、
それは神の御心に適った悲しみとなり、
取り消されることのない救いにつながっていくのだそうですから。
【父である神】は、私たちの身代わりとなって
十字架刑での処刑を受けられ、
死んで墓に葬られたイエスを、
新しい霊のからだに復活させ、
私たちもイエスとともによみがえらせ、
御前に立つようにしてくださるのだそうです。
それで、私たちの外なる人は衰えていくとしても、
【聖である霊】と呼ばれる方によって始まっている内なる人は
日々新たにされていくのだそうですから。
今の、一時の軽い苦難は、
それとは比べものにならないほど重い永遠の栄光を
もたらすのだそうです。(Ⅱコリント4:1~18)
私たちもイエスの御前に自分の罪悪を言い表し、
受け取っていただいて、
取り消されることのない永遠の救いへと。
今日も。
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戦争、民族は民族に、国は国に対して立ち上がり、地震、飢饉が起こる中で
お前たちはなんとゆがんでいることか。
造られた者が、造った者に言いうるのか、
「彼が私を造ったのではない」と。
陶器が、陶工に言いうるのか。
「彼には分別がない」と。イザヤ書29:16
皆互いに
謙遜を身に着けなさい。Ⅰペトロ5:5
ヨハネ15:9~17
マルコ13:1~13(通読箇所)
(ローズンゲン日々聖句3/25;水)
私たち人間は、
天の神、【主】の創造の目的から「的外れ」になっていて、
ゆがんだ、逆さな考え方をしているもののようです。
造られた者が、造った者に
「彼が私を造ったのではない」とか、
「彼には分別、わきまえがない」と、
あるいは、さらに、「造り主などはいない」と言って。
それは、私たちは、
「(神の御座をおおっている)密雲の頂に上り、
いと高き者になろう」(イザヤ14:14)とする性質を持つ、
高ぶる者だからなのでしょうね。
だから、「みな互いに謙遜を身に着けなさい」
と勧められているのでしょうか。
この「神の一人のようになり、
善悪を知る者」となって(創世記3:5、22)、
「的外れ」になっている私たちの
〔生まれたときからの私〕という霊を、
イエスが受けられた十字架刑での処刑に合わせていただいて、
処刑が済んでいるもの、死んだものとしていただき、
死んで墓に葬られ、
三日目、死人の中から新しい霊のからだに復活し、
天の、【父である神】の右の座に復帰された
イエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方をお迎えし、
この方が私たちの心に置いてくださる
【父である神】の御思いで生きるようにしていただいて。(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28、ヨハネ17::21~23)
イエスが私たちを愛してくださっている、その愛に留まり、
互いに愛し合ってほしいとの【父である神】の御思いのとおりに。
この世の中が、
「私こそキリストだ」と
キリストの名を名のる者が大勢あらわれて多くの人を惑わし、
戦争と戦争のうわさ、
民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、
あちこちで地震があり、飢饉が起こるようになる中で。(マルコ13:1~13)
【聖である霊】と呼ばれる方によって
謙遜な思いも心に置いていただき、
造り主である【父である神】の御思いのとおりに生きる者へと。
今日も。
(近くの教会を知りたい等の方、
また、婚活で広く出会いを求めたい、
教会に行っていないけれど、
葬儀をキリスト教でしたい、
等の方、
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神を深く知るように、と。
主の道はことごとく正しく、
御業は慈しみを示しています。詩145:17
私たちは、絶えず祈っています。
どうか、
“霊”によるあらゆる知恵と理解によって、
神の御心を十分に悟り、
主に喜ばれるように主に従って歩み、
あらゆる善い業を行って実を結び、
神を深く知るように。コロサイ書1:9~10
ヨブ記9:14~23、32~35
マルコ12:41~44(通読箇所)
(ローズンゲン日々聖句3/24;火)
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)の御思いは、
すべてにおいて、ことごとく正しく、
そのすべてのみわざにおいて恵み深い方。
だから、私たちは、
あらゆる霊的な知恵と理解力によって、
この方の御心を十分に悟り、
その知識に満たされ、
この方にふさわしく歩み、
あらゆる点でこの方に喜ばれ、
あらゆる良いわざのうちに実を結び、
この方を知ることにおいて成長することを願っていくのですね。
【御子である神】、イエスが、
仲裁者として
【父である神】と私たちの間に
立っていてくださるのだそうですから(ヨブ9:33)。
私たちを【父である神】の御思いの中にいるものにしようと。
今日も。
(近くの教会を知りたい、
教会に行っていないけれど、
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婚活で、広く出会いを求めたい、
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食物と喜びで、私たちの心を満たすために
あなたのみが主。
天とその高き極みを、
そのすべての軍勢を、
地とその上にあるすべてのものを、
海とその中にあるすべてのものを、
あなたは創造された。ネヘミヤ記9:6
神はご自分のことを証しして、
天から雨を降らせて実りの季節を与え、
食物を施して、
あなたがたの心を喜びで
満たしてくださっているのです。使徒14:17
ヨハネ6:26~35
マルコ12:38~40(通読箇所)
(ローズンゲン日々聖句3/23;月)
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)。
この方だけが私たちの【主】なのですね。
この方が、
天と、天の天と、その万象を、
その上のすべてのものを、
海とその中にあるすべてのものを創造された方なのだそうです。
この方が私たちに、天からの雨と実りの季節を与え、
食物と喜びで
私たちの心を満たしてくださっている方なのだそうですから。
さらに神は、
なくなってしまう食べ物だけではなく、
永遠のいのちに至る食べ物を与えようと
していてくださるのだそうです。
イエスは、いのちのパンとして
私たちに永遠のいのちを与えるために
天から下って来られた方なのだそうですから。(ヨハネ6:26~35)
イエスは、神殿の献金箱に
たくさんのお金を投げ入れている金持ちよりも、
レプタ銅貨(当時の最小単位の貨幣)2枚を投げ入れた
貧しいやもめを、
誰よりも多くを投げ入れたと評価されたのだそうです。
乏しい中から、持っているすべてを、生きる手立ての
すべてを投げ入れたのだから、と。(マルコ12:41~44)
永遠のいのち、その、神との信頼関係を評価して。
私たちにも、永遠のいのちに至る食べ物で
喜びに満たそうと。
今日も。
(近くの教会を知りたい等の方、
また、婚活で広く出会いを求めたい、
教会に行っていないけれど、
葬儀をキリスト教でしたい、
等の方、
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