風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

力ある方が御思いを地に実現される。私たちを通しても。

主よ、私たちの主よ。
あなたの御名は、いかに力強く、
全地に満ちていることでしょう。
詩8:2

 

マリアの言葉:
力ある方が、
私に偉大なことをなさいました。
その名は尊い
ルカ1:49

 

 マタイ18:15~20
 列王記上12:20~32(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句7/2;木)


 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)、
私たちの主となっていてくださるこの方は、
力強く、全知に満ちている方。

 

 その方が私たち一人ひとりにも偉大なことをしてくださる、
というのですね。
エスの母となったマリアのように、
世界の始まる前からもっておられた御計画にしたがって。

 

 この方は、私たち一人ひとりと、
ご自分と思いを一つにする関係になりたいと
思っていらっしゃる方なのだそうです。
同じ、一つのこと願い、
同じ、一つのことをする関係に。

 

 そして、そのことが成ったとき、
同じ願いを願い、協力し合った共働者として
栄光を共にし、喜びを共にしようと。

 

 それで、天で、ご自分の心の中で成っていることを
これから地上に実現しようとされるとき、
【聖である霊】と呼ばれる方によって
私たちの心に同じ思いを置き、
同じ願いを願う者にしてくださるのだそうです。

 

 それで、私たちがその思い、その願いによって行動するとき、
私たちは、神がしようと思うことをしていく者(ヨハネ14:12)とも
していただけるのだそうです。

 

 二人、三人の心に、
天で、ご自身のうちになっている同じ思い、
同じ一つ願いを置いて、
一つ願いを願わせ、
それをこの地上に実現して、
天で、ご自身のうちで成っていることが地に成るように、と。(マタイ18:18~19)

 

 

 ソロモンの背きにより彼の死後二つに分裂した王国。
その北イスラエル王国の最初の王となったヤロブアムは、
神の御心によって王となったにもかかわらず、
民が南ユダ王国エルサレム神殿に礼拝に行くことによって、
民の心がダビデの家に帰ってしまうことを恐れ、
自分で勝手に考え出した考えに従って金の子牛を作り、
それをベテルとダンに置き、
民にこの子牛を拝むようにさせたのだそうです。
エルサレムに行かなくていいように、と。
自分を王にした神の御思いを求めようとはせずに。(Ⅰ列王12:20~32)

 
 私たちも、自分から出て来た思いは、
エスの十字架刑での処刑に合わせていただいて
「死んだ」とされる者から出て来た思いであることを認めて、
これをイエスの御前に差し出しながら、
【聖である霊】と呼ばれる方によって心に来る
【父である神】の御思いによって出て行くように
していただけるのだそうです。
 

 天で、【父である神】の御思いの中で成っている
偉大な出来事が、
私たちを通して地にも成るように、と。
今日も。

 

 

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隠れたい自分、隠しておきたい場を差し出し、知ってもらって

誰かが隠れ場に身を隠したなら、
わたしは彼を見つけられないというのか、
と主は言われる。
天をも地をも、
わたしは満たしているではないかと、
主は言われる。
エレミヤ書23:24

 

神を愛する人がいれば、
その人は神に知られているのです。
Ⅰコリント8:3

 ミカ書7:7~9、18~20
 列王記上12:1~19

 私たちも、天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)から身を避けて
隠れようとするのですね。
あるいは、失敗の場所、都合の悪い場所を隠そうと。
アダムとエバがこの方を避けて、木々の間に身を隠して以来、
ずっと。

 

 けれども、
「どうやって、わたしから隠れることができるのか」と、
この方は言われるのですね。

 

 この方を愛している人は、
隠れること、隠すことをやめて、
この方の御前にありのままを差し出し、
見てもらい、知ってもらう人なのだそうです。

 この方は私たちのとがを除き、
背きを見過ごしてくださる方なのだそうです。
私たちが受けるはずの御怒りは、全部、
御子であるイエスの上に置き、
私たちの代わりとしてイエスを死刑にして。(ミカ7:7~9、18~20) 

 

 私たちも、隠れてしまいたい自分を、
隠しておきたい失敗や弱さを
そのまま、この方の御前に差し出し、見てもらい、知ってもらい、
後始末、しりぬぐいをしてもらって。
エスが全部引き受けていてくださるのだそうですから。
今日も。

 

 

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思い煩い、求めているもののいっさいを、この方に打ち明け、知っていただきながら

ダニエルの言葉:
神様が天使を送って
獅子の口を閉ざしてくださいましたので、
私は
なんの危害も受けませんでした。
ダニエル書6:23

 

私たちは虐げられても見捨てられず、
打ち倒されても滅ぼされない。
Ⅱコリント4:9

 ルカ7:36~50
 列王記上11:1~13(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句6/29;月)


心よ、
主はお前に言われる。
「わたしの顔を尋ね求めよ」と。
主よ、
私は御顔を尋ね求めます。
詩27:8

 

どんなことでも、
思い煩うのはやめなさい。
何事につけ、
感謝を込めて祈りと願いをささげ、
求めているものを
神に打ち明けなさい。
フィリピ書4:6

 

 士師記10:6~16
 列王記上11:26~43(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句6/30;火)


 ダニエルが同僚たちからねたまれて、はかられ、
獅子の穴に投げ込まれたとき、
獅子は腹を減らしていたにもかかわらず、
ダニエルを襲うことはしないでおとなしくしていたのだそうです。

 

 ダニエルとともにおられ、ダニエルを守られた神は、
私たちとも、ともにいて下さるのだそうです。

 

 だから、私たちも
四方八方から苦しめられることがありますが、窮することはなく、
途方に暮れますが、行き詰ることはないのですね。
虐げられ、迫害されることがありますが、
見捨てられることはなく、
打ち倒されることがありますが、
滅ぼされることはないのですね。

 


 自分を正しい者だとする人たちから、非難され、
軽蔑され、無視されていた罪深い女性に対し、
エスは、
彼女が多く愛しているのを見て、多く赦されていることを認め、
「あなたの罪は赦されています」と宣告し、
「安心して行きなさい」と言われたように。(ルカ7:36~50)

 

 また、彼女とは逆に、
国を治めるために神に知恵を求め、
神の祝福をいただいていたソロモンは、
多く異邦の妻たちを愛し、その妻たちに心を転じられ、
その妻たちの神々を拝み、
彼の神、【主】と心を一つにする場からズレていってしまい、
王国が分裂する原因を作ってしまったのだそうです。(Ⅰ列王11:1~43)
 

 

 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)は、
「わたしの顔を尋ね求めよ」と言われているのですね。
「わたしと思いを一つにしていってほしい」、と。

 

 そして、また、「あなたの思っていることを話してほしい」、と。
「わたしの思いがあなたがたのうちにあり、
あなた方の思いがわたしのうちにあるようになりたい」、と。(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28、ヨハネ17::21~23)

 

 だから、どんなことでも、
「あなた一人で思い煩っていないで、わたしに話してほしい。
求めるものを言ってきてほしい」、と。

 


 この方は、かつて、イスラエルの人々が、
ご自分を捨て、近隣の人々の神々に仕えるようになったとき、
イスラエルの人々を怒り、
彼らをペリシテ人とアンモン人の手に売り渡されたのだそうです。

 

 それで、ヨルダン川の東側にいた人々は、
18年の間、アンモン人にしいたげられ、
アンモン人は、さらにヨルダン川の西側にまで攻めて来たので、
イスラエルの人々は大変な苦境に立たされたのだそうです。

 

 それで、イスラエルの人々は、
天の神、【主】に叫んだのだそうです。
「私たちはあなたに罪を犯しました。
私たちの神を捨ててバアルの神々に仕えたのです」、と。
 

 すると、【主】は言われたのだそうです。
「わたしは、かつてエジプト人、アモリ人、
アンモン人、ペリシテ人から、
また、シドン人、アマレク人、マオン人があなたがたをしいたげて
あなたがたがわたしに叫んだたとき、
あなたがたを彼らの手から救ったではないか。

 

 しかし、あなたがたはわたしを捨てて、ほかの神々に仕えた。
だから、わたしはこれ以上あなたがたを救わない。
行け。そして、あなたがたが選んだ神々に叫べ。
あなたがたが苦しみの時には、彼らが救ってくれるだろう。」

 

 けれどもイスラエルの人々は【主】に言ったのですね。
「私たちは罪を犯しました。
あなたが良いと思われるように何でも私たちにしてください。
ただ、どうか今日、私たちを救い出してください。」

 

 彼らが自分たちのうちから異国の神々を取り去って
【主】に仕えたので、
この方はイスラエルの苦痛を見るに忍びなくなられて、
助け手としてエフタを送られたのだそうです。(士師10:6~16)

 

 私たちも、外れた場からこのかたに立ち返り、
この方の御思いを求め、
また、私たちの思いのそのままをこの方に打ち明けて、
この方と思いを一つにする者へと。
この方の守りの中へ。
今日も。

 

 

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どんな時にも、いつでも、この方の御前に出て

人の子は、

失われたものを捜して救うために
来たのである。
ルカ19:10(6/28の週の聖句)

 

私は
絶えず主に相対しています。
詩16:8

 

(すき)に手をかけてから
後ろを振り向く者は、
神の国にふさわしくない。
ルカ9:62

 

 ルカ15:1~3、11b~32
 詩106:1~23(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句6/28;Ⅳ日曜)

 【御子である神】が、
天の栄光の座を後にして、人間となり、
人間の世界に来られたのは、
正しい者、立派な者、
自分でちゃんとやっていける者を招くためではなく、
 

失われた者、行き悩んでいる者を探し出して救うため、
だったのですね。

 

 野原で、群れから迷い出た羊の一匹を探し回り、
見つけたら肩に乗せて帰り、
近所の人を集めて大喜びする羊飼いのように。

 

 また、父親に、自分の相続分の生前贈与を迫り、
それを金に換えて家を出て行ってしまった息子の帰りを、
今日か、今日かと待ち、
遠い町で放蕩して、財産を使い果たし、
落ちぶれて帰ってきた息子を見つけると
走り寄って抱きしめ、
祝いの宴会を始めた父親のように。(ルカ15:1~3、11b~32)

 

 それで、私たちも、
自分でちゃんとやれたときだけではなく、
失敗の場所、ダメな場所、
どんなところでも、いつでも、この方の前に出て、
この方と向き合っていることができるのですね。

 

 後ろを振り向かず、
過ぎ去ったことに心を向けず、
前におられる方がどのようにされるかを期待して。

 

 エジプトを出てからも、
ことあるごとにつぶやき、
逆らうイスラエルの民(詩篇106:6~23)、

 

 そして自分のところに来られた救い主を
十字架につけるこの民を、
この方はなお、見捨てず、捜し出し、
救ってくださるのだそうですから。

 

 私たちにも。
この新しい週も。

 

 

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ソロモンの栄華よりも、もっと富ませよう、と

どうか御心に留めてください。
既にいにしえからご自分のものとし、
嗣業の部族として贖われた会衆を。
詩74:2

 

あなた方は、
私達の主イエス・キリストの恵みを知っています。

すなわち、主は豊かであったのに
あなたがたのために貧しくなられました。
それは、主の貧しさによって、
あなた方が
豊かになるためだったのです。
Ⅱコリント8:9

 

 ルカ3:10~18
 列王記上10:14~29(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句6/27;土)


 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)は、
ご自分のものとして選び、
ご自身を受け継ぐ者とされたイスラエルの民を
忘れたり、捨てたりされることなないのですね。

 

 そして、私たち異邦人、
もろもろの契約とは関係がなく、
神なく、望みなく生きていた者を、
その、ご自分の民に加え、
貧しい者であった私たちを
ご自分の富で豊かにしようと、

 

 

 【御子である神】ご自身が貧しくなってくださったのだそうです。
天で、天使の万軍に仕えられる身分を捨てて
人となり、人の世に来てくださったのだそうですから。

 

 しかも、人の中でも、
王や大富豪、学者の家にではなく、
「ナザレから何の良い者が出るだろう」とあざけられるナザレの、
貧しい大工の息子として。

 

 旅先のこととはいえ、家に入る余地がなく、
家畜小屋で、布に包まれて飼い葉おけに寝かされて。

 

 そして、最期は、神に背き、神に呪われた者となり、
【父である神】から見放され、
ローマ帝国のもっとも残酷な死刑である十字架刑で処刑されて。

 

 

 【父である神】は、この、イエスの死によって
私たちを豊かな者、
富む者としてくださっているのだそうですから。
聖霊と火でバプテスマして(ルカ3:16)。

 

 栄華を極めたソロモンよりも
もっと豊かな者へと。(Ⅰ列王10:14~24)

 今日も。

 

 

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過ぎ去って行く、この世にあって

いかに幸いなことか。
裁きを守り、
どのような時にも
恵みの業を果たす人は。
詩106:3

 

世も世にある欲も、過ぎ去って行きます。
しかし、神の御心を行う人は
永遠に生き続けます。
Ⅰヨハネ2:17

 

 使徒13:15~25
 列王記上10:1~13(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句6/26)


 幸いなのですね。
どんな時にも、天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)と思いを一つにし、
心を一つにして歩む者は。

 

 この世とこの世にあるものはみな、
過ぎ去って行くのだそうです。
肉の欲、目の欲を満たすものも、暮らし向きの自慢なども。

 

 けれども、この方と心と思いを一つにし、
この方が思われているとおりに生きていく者は、
過ぎ去ることなく、
この方の御前で永遠に生き続けることになるのだそうですから。

 

 ダビデが、
「彼はわたしの心にかなったもので、
わたしが望むことをすべて成し遂げる」と言われ、

 

 また、バプテスマのヨハネが、
エスが世に現れる前に悔い改めのバプテスマを宣べ伝えて、
エスの前に道を整える者の立場を
全うしていったように。(使徒13:22~25)

 

 シェバの女王はソロモン王に、
「なんと幸せなことでしょう。
あなたにつく人たちは。
なんと幸せなことでしょう。
いつもあなたの前に立って、あなたの知恵を聞くことができる、
このあなたの家来たちは。

 

 あなたの神、主がほめたたえられますように。
主はあなたを喜び、
イスラエルの王座にあなたを就かせられました。
【主】はイスラエルをとこしえに愛しておられるので、
あなたを王とし、
公正と正義を行わせるのです」(Ⅰ列王10:8~9)
と言っているように、

 

 

 天の神、主は、私たちを御前におらせてくださって、
その知恵を聞き、
御思いを過ぎゆくこの世に実行する者として、
用いてくださるのだそうですから。

 

 過ぎ行かない者、
いつまでも生き続ける者にしてくださって。

今日も。

 

 

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力ある方が、私たちを救い、贖おうと

主なるわたしは
あなたを救い、あなたを贖う者。
ヤコブの力ある者である。
イザヤ書60:16

だれが、キリストの愛から
私たちを引き離すことができましょう。
ロマ書8:35


 マタイ10:26~33
 列王記上9:1~10(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句6/25;木)

 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)、
この力ある方が、私たちを救い、
あがなう者になるとおっしゃっていてくださるのですね。

 だから、この方から私たちを引き離すことができる者は
だれもいない、と。
私たちが、自分自身でこの方を拒否しない限りは。

 

 この方は、私たちのたましいもからだも
ゲヘナ(地獄)で滅ぼすことのできる方。
この方以外の者は、
たとえ、私たちを殺すようなことがあっても、
それは、からだだけのこと。
たましいを殺すことはできないのだそうですから。

 

 この方は、私たちのすべてを、
髪の毛の一本一本さえも心の留め、
見守っていてくださるのだそうですから。(マタイ10:28~31)

 

  ソロモン王が、エルサレム神殿と王宮を建て終わったとき、
この方が、再び、ソロモンに現れて言われたように。


 「あなたがわたしの前で願った祈りと願いをわたしは聞いた。
わたしは、あなたがわたしの名をとこしえに置くために建てた
この宮を聖別した。
わたしの目と心は、いつもそこにある。

 

 もしあなたが、あなたの父ダビデが歩んだように、
全き心と正直さをもって私の前に歩み、
わたしがあなたに命じたことすべてをそのまま実行し、
わたしの掟と定めを守るなら、
わたしが、あなたの父ダビデ
『あなたには、イスラエルの王座から人が断たれることはない』と
約束したとおり、
あなたの王国の王座をイスラエルの上にとこしえに立たせよう。

 

 もし、あなたがたとあなたがたの子孫が、
わたしに背を向けて離れ、
あなたがたの前に置いたわたしの命令とわたしのおきてを守らずに、
行ってほかの神々に仕え、それを拝むなら、
わたしは彼らに与えた地の面からイスラエルを断ち切り、
わたしがわたしの名のために聖別した宮を
わたしの前から投げ捨てる。
 

 イスラエルは、すべての民の間で物笑いの種となり、
嘲りの的となる。
この宮は廃墟となり、
そのそばを通り過ぎる者はみな驚き恐れてささやき、
「何のために、【主】はこの地とこの宮に、
このような仕打ちをされたのだろう』と言う。

 

 人々は、
『彼らは、エジプトの地から自分たちの先祖を導き出した
彼らの神、【主】を捨ててほかの神々に頼り、
それを拝み、それに仕えた。
そのため【主】はこのすべてのわざわいを
彼らに下されたのだ』と言う。」(Ⅰ列王9:1~9)

 


 けれども、人間は、自分の理性を神とし、
その善悪の判断に従って
自分の善しとするものを神とするばかりで、
 

結局、このエルサレム神殿は、
紀元前586年、バビロン軍によって破壊され、
その後、
バビロン捕囚から帰還した人々によって再建された神殿も
紀元70年、ローマ軍によって、
「どの石も崩されずに、
ほかの石の上に残ることのない」(ルカ21:6)までに破壊され、
わずかに「嘆きの壁」を残して、現在に至っています。

 

 

 救い主、あがない主である神は、
この、「神の一人のようになり、
善悪を知る」ようになって(創世記3:5,22)、
神に背き、神に対立、対抗するばかりの
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を、
人となられた【御子である神】イエスが受けられた
十字架刑での死刑に合体させて、
死刑が終わったもの、死んだ者としてくださるのだそうです。

 

 そして、【聖である霊】と呼ばれる方を私たちに派遣し、
この方によって私たちの心に、
ご自身の御思いを置き、書きしるして、
私たちの心にご自身の思いがあるようにし、
これを受け入れ、この、心に来たこの方の御思いで生きる者を、
「御霊によって新しく生まれた者」(ヨハネ3:3~8)とし、
「御霊によって歩む」(ガラテヤ5:16)者とも
してくださるのだそうです。

 

 〔生まれたときからの私〕という霊は死んだ者とし、
ご自身と思いを一つにして生きる者に。
エスによる救い、あがないの中へと。
今日も。

 

 

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