風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

「それでもなお」、なのだそうです。あの方と私たちとの関係は。

恐怖に襲われて
私は言いました。
「御目の前から断たれた」と。
 
それでもなお、
あなたに向かう
私の叫びを、
 
嘆き祈る
私の声を、
あなたは
聞いて下さいました。
詩篇31:23
 
 
 
キリストの言葉
わたしは
良い羊飼いである。
 
わたしは
自分の羊を
知っており、
 
羊も
わたしを
知っている。
ヨハネ10:14
  
 
(ローズンゲン日々の聖句12/7;土)
 
 
大きな苦難に襲われ、
あの方から
断罪され、
切り離されてしまったかのように
感じるとき、
 
それでもなお
あの方に
叫び訴える声を、
あの方は
むげにはなさらないのだそうですね。
 
悪霊につかれた娘を持つ
私を
憐れんで、
 
娘を癒して下さいと
願っていったのに、
 
すげなく、
「子どもたちのパンを取りあげて、
子犬に投げてやるのはよくない」と
イエスから言われて、
 
子犬(異邦人)の場所を
そのまま認めて、
 
「主よ。
そのとおりです。
ただ、
子犬でも
主人の食卓から落ちるパンくずは
いただきます。」と、
 
いよいよ、
すがりついていった
異邦人の母親のように、
 
「それでもなお」、
しがみついていく者の叫びを
聞いて下さるのですね。
あの方は。
 
あの方は、
私たち、
一人一人を知っていて下さって、
 
一人一人を、
名前を呼んで
呼び出してくださるのだそうです。
 
名前を呼ばれたとき、
「あの方だ!」って
わかるように、
 
あの方の声だと
聞き分けられるように、
 
あの方との会話を
深めていたいですね。
 
今日も。
 
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