風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

あの方から来る、「思い」を重んじていきたいですね。

主の言葉:
わたしを
重んずる者を
わたしは
重んじ、
 
わたしを
侮る者を
わたしは
軽んずる。
サムエル記上2:30
 
 
 
思い違いをしてはいけません。
 
神は、
人から
侮られることはありません。
 
人は、
自分の蒔いたものを、
また
刈り取ることに
なるのです。
ガラテヤ書6:7
  
 
(ローズンゲン日々の聖句12/15;日)
 
 
あの方との「一つ」を止めて、
自らが
善悪を知る者になった私たちは、
 
本質的に、
あの方の上に
自分を置くものなのですね。
 
 
あの方の判断よりも
自分の判断のほうを
上に置いているわけですから。
 
けれども、
あの方は
侮られる方ではないのだそうです。
 
人は
一人一人
その仕業の結末を
刈り取ることになるのだそうですね。
 
 
「生まれた時からの私」という霊の
思いのままに
生きていけば、
 
全部の責任を
自分自身で
負うことになり、
 
聖書が伝えているとおり、
「生まれた時からの私」という霊は、
イエスが架かられた十字架刑で
処刑されたものと
計算して、
 
「聖である霊」と呼ばれる方を
お迎えし、
この方の思いを私の思いとして、
 
その思いに従って動いて行くなら、
永遠の命を刈り取って行くことに
なるのだそうです。
私の心の内に起こる、
「聖である霊」と呼ばれている方から来る
思い。
 
どんな思いが来るのか、
 
それに
注目していきたいですね。
 
今日も。
 
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