風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

何を宝とするのか、どこに富を蓄えるのか。心が何処にあるのか。

ヤコブは、
家族の者に
言った。
 
「お前たちが身に着けている
外国の神々を
取り去り、
 
身を清めなさい。」
創世記35:2
 
 
 
あなたがたの
富のあるところに、
あなたがたの心も
あるのだ。
ルカ12:34
  
(ローズンゲン日々の聖句12/17;火)
 
 
身につけている外国の神々、
それは
彼らにとって、
信仰の対象というより、
富、宝物だったのかもしれませんね。
 
富であるこれらを手放すことが、
身を清めることになる。
 
現代にあっても、
富を
「私の神」とする心は
強く働きますね。
 
富をささげる、あるいは、施すことに対する、
心の中の抵抗は、
結構、あります。
 
でも、
手放してみて、
なにか、
清々しい、
富から心が離れた生活が始まる感じは
ありますね。
 
私たちは、
死ぬまでに必要な物、
一生分の生活費を確保して
安心したいもの。
 
だから、
理想的には
世界の富の全部を
私一人で
独占したいのですね。
 
あの方の約束では、
食べるもの、着るものなど、
生活に必要な物は、
神の国と神の義を求めていけば、
あの方が、
加えて与えて下さる。
 
ただし、
一生分をポンとではなく、
 
その日、その日の
一日、一日の分を、
ということのようです。
 
いつも、
あの方を信頼するかどうかが
問われていくのだそうですね。
 
「聖である霊」と呼ばれる方から来る
あの方の御思いは、
信頼と
天に積まれる富を喜ぶ心
なのでしょうね。
 
今日も。
 
 
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