風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

御自分の民を罪から救うのだそうです。この方は。

イスラエルは
主によって救われる。
 
それは
とこしえに続く
救い、
 
あなたたちは
世々とこしえに
恥を受けることも、
辱められることも
ない。
イザヤ書45:17
 
 
 
主の天使が
夢に現れて言った。
 
「マリアは
男の子を産む。
 
その子を
イエスと
名付けなさい。
 
この子は
自分の民を
罪から救うからである。」
マタイ1:20~21
 
 (ローズンゲン日々の聖句12/23;月)
 
 
あの方は、
永遠の昔から
一緒におられた
御子である方を、
 
私たち人類の救い主として、
私たち人間の世に送り込まれるのに、
王宮にではなく、
世の権力者、大富豪の家にでもなく、
片田舎の
貧しい、マリヤという普通の
処女を通して
生まれさせるという方法を
取られたのだそうですね。
 
マリヤが、
3カ月、
遠くの親戚の
ザカリヤとエリサベツのところに
行っていて、
 
帰って来てみると
お腹が大きくなっていたのだそうです。
 
 
いいなずけのヨセフは、
自分には身に覚えのないことだし、
 
当時、
婚約中に
他の男の子を身ごもるなどということがあれば、
石打の刑
(みんなで取り囲んで、石を投げつけて死刑にしてしまう)
にされても仕方のないことだったので、
婚約を解消しようと思いめぐらしているときの夜、
天使が現れて
このように言ったのだそうですね。
それで、
ヨセフは、
まわりの人たちから、
「あいつは、
婚約中に相手を妊娠させてしまった
不品行な男だ」
との非難とあざけりを
一身に受けながら、
マリヤを妻として迎え入れたのだそうです。

「そして、
子どもが生まれるまで
彼女を知ることがなく、
その子どもの名を
イエスとつけた。」
(マタイ1:25)
元取税人マタイは
このことを簡潔に記しています。
 
イエスとは、
「主は救い」
という意味だとか。
 
 
私たちの罪の全部を背負って
十字架刑で処刑されるために、
貧しい若い夫婦の子として生まれて下さった方に
感謝をささげます。
 
今日も。
 
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