風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

日々、私たちを担い、救われる方

主をたたえよ、
日々、
私たちを担い、
救われる
神を。
詩篇68:20
 
 
 
天の大軍が
神を賛美して言った。
「いと高きところには
栄光、
にあれ、
 
地には
平和、
御心に適う人に
あれ。」
ルカ2:13~14
 
 (ローズンゲン日々の聖句12/24;火)
 
 
「足あと」という詩があります。
砂浜を歩いていて、
振り返ると
人分の足あとが続いていた。
 
よく見ると、
ところどころ、
一人分の足あとしかなかった。
 
それで、
その方に申し上げた。
「私が一番大変な時に、
なぜ、
あなたは私を離れて行かれたのですか」と。
 
その時、
その方が答えられた。
「愛するわが子よ、
あれは
たしの足あとです。
 
あの時、
わたしが
あなたを背負って
通り過ぎたのです。」
というような意味の。
 
日々に、
私たちを担い、
運んで下さる方なのですね。
あの方は。
そればかりか、
私たちの罪を
一身に背負って
処刑されるために
人となって生まれて来られた。
 
その夜、
羊の番をしながら野宿をしてい
貧しい羊飼いに、
この喜ばしい誕生の知らせを届けた天使と共に
天の万軍が、
この計画を実行された方を
ほめたたえ、賛美したのだそうです。
 
この最初のクリスマスの夜に。
 
そのときから
およそ33年を経て、
その処刑は執行され、
 
私たち、
「生まれたときからの霊」は
処刑済みの者とみなす手続きは
完了し
 
 
復活され、
天の御父のもとに帰られた
その方に代わって、
 
私たちの内の
最も深いところにまで
派遣されて来た
「聖である霊」と呼ばれる方が、
私たちの心に、
あの方の御思いを、
まるで私の思いであるかのように
思わせて下さって、
 
あの方と私たちが
一つ思いを思い
 
一つ行動をとる者として
担い、運んで下さっているのだそうですね。
 
 
2000年が過ぎたい
今日も。
 
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