風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

他の人の不幸に心痛め、他の人のことにも注意を払う思いが来るのだそうですね。あの方から。

言は
肉となって、
私たちの間に
宿られた。
 
私たちは
その栄光を
見た。
ヨハネ1:14
(今週の聖句)
 
 
 
イスラエルの驕れる人々よ、
大杯で
ぶどう酒を飲み、
最高の香油を
身に注ぐ。
 
しかし、
ヨセフの破滅に
心を痛めることが
ない。
アモス書6:6
 
 
 
めいめい
自分のことだけでなく、
他人のことにも
注意を払いなさい。
フィリヒ書゚2:4
 
 
  (ローズンゲン日々の聖句12/30;月)
 
 
心の思いを表明するもの、
それが
言葉なのでしょうか。
 
 
あの方の思いを
表明する役割、立場を
とっておられるのが、
「言(ことば)である神」とか、
「御子である神」とか
呼ばれている方なのだそうです。
 
 
そして、
このお方は、
永遠のはじめから、
あの方と共におられたのだそうですね。
 
私たちの
心の思いと言葉とが
一緒にあるように。
 
 
天地万物、すべてのものは、
あの方の御思いから始まり、
 
その思いの表明である
「言(ことば)」と呼ばれる
この方を通して
創造されたのだそうです。
 
その創造主の立場におられる方が、
人間の肉体をもって、
私たち人間の世界に
来て下さったのだそうですね。
 
私たちに代わって
十字架刑で処刑され、
 
私たちが
あの方の「子」の身分をいただける
道を拓くために。
 
あの方は、
そのように、
自分のことだけだなく、
私たちのことも
考えていて下さるのですね。
 
 
だから、
「聖である霊」と呼ばれる方によって
私たちの心に起こされる
あの方の御思いは、
 
他の人の不幸見ると
心痛み、
 
自分のことだけではなく、
他の人たちのことにも
注意を払う思い
なのだそうですね。
 
「聖である霊」と呼ばれる方が
働いて下さって、
 
さらにさらに
私の心に
あの方の、
他を思いやる御思いが
起こりますように。
 
今日も。
 
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