風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

喜び迎えて下さるのだそうです。  このままの私を 今日

私たちは
その栄光を
見た。
 
それは
父の独り子としての
栄光であり、
 
恵みと真理に
満ちていた。
ヨハネ1:14b
(今週の聖句)
 
 
主よ、
あなたが
民を喜び迎えられるとき、
私に
御心を留めてください。
 
御救いによって
私に
報いてください。
詩篇106:4
 
 
 
主よ、
今こそ
あなたは、
お言葉どおり、
この僕を安らかに
去らせてくださいます。
 
私は
この目で
あなたの救いを
見たからです。
ルカ2:29~30
 
 
 (ローズンゲン日々の聖句1/6;月)
 
 
私たちを
御心に留め、
 
私たちを
喜び迎えられるようにと、
 
御救いの手続きが
この歴史の中で
具体的に
始まったのだそうです。
 
エルサレム神殿で、
シメオンは、
貧しい若い夫婦に抱かれて来た、
まだ生後40日ほどの赤ん坊を
見て、
 
「私は
この目であなたの救いを見たからです」
あの方をほめたたえたのだそうです。
 
この宇宙が創られる前から、
独り子として、
あの方と共におり、
 
神のことば」という位置に
おられ、
 
天地万物、
てのものが
この方によって出来たと
言われる方が、
 
今、
貧しい、
弱い
赤ん坊として
抱かれている。
 
 
シメオンは、
この赤ん坊を見て、
「救いを見た」と
言ったのだそうですね
 
この赤ん坊が、
やがて、
私たち人間の
「的はずれ」の責任を
一身に背負って
十字架刑で処刑されて下さり、
 
本来、
自分の的外れのゆえに
滅びるしかなかった私たちが、
処刑済みの者として
あの方の前に出ることが出来るようにし、
 
あの方が、
私たちを
喜び迎えられるようにして下さるという、
 
その救いを。
 
この御救いの中に
置いていただき、
 
あの方を
「父」と呼ぶ
身分を与えていただいている者として、
 
心をよぎる思いの一つ一つを
「父」の前に
広げ、
見ていただき、
知っていただいて、
 
全部を
光に照らされた
明るい出来事にしていただき、
 
「父」との関係を
深めていきたいですね。
 
もっともっと。
 
今日も。
 
(お詫び;
昨日は2ページを一緒にめくったため、来週(1/12;日)の分を載せてしまいました。
お詫びいたします。)
 
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