風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

幸せになろうよ!

あなたたちが
人と
土地を売買するときは、
互いに
損害を与えては
ならない。
レビ記25:14
 
 
兄弟愛をもって
互いに
愛し、
 
尊敬をもって
互いに
相手を
優れた者と
思いなさい。
ロマ書12:10
 
 
 (ローズンゲン日々の聖句1/9;木)
 
 
今から3500年ほど前に、
このような成文法を持った国民がいたとは
驚くべきことですね。
 
思いやる心、
相手を大事に思い、
尊敬し、
自分よりも優れた者と
思う。
 
まさしく、
これを守れば、
今日のおいても、
みんなが幸せになり、
素晴らしい国民と言われる。
 
ただ、
いかんせん、
私たちの実体は
これと正反対なのですね。
 
相手に損害を与えてもいいから、
少しでも自分の利益を増やしたい。
 
人よりも自分が優れていないと
承知できない。
 
まだ弱い時はいい人でいられたのに、
力をつけ、権力を握ると、
途端に
人が変わってしまう。
 
 
あの方との一つを嫌って、
自分が善悪の決定者になる道を選んだ者の子孫である
私たちという「霊」は、
 
自分一人が、
あの方よりも高い座に、
最高点に坐していたい。
 
自分が一番力のある者、
自分が一番知恵のある者、
自分一人が全ての良きものを独占して、
いつまでも一番でいたい者
なのだそうですね。
 
だから、
これを守れば幸せになり、
生きることが出来るという
「法」が
示されても、
 
表面的には守ったように振舞えても、
私たちの心は、
その「法」に沿えてないのだそうですね。
 
心から、
この「法」に沿って行くためには、
「思い」の出て来る元である
「霊」を
取り替える必要があるのだそうです。
私たち、
「生れた時からの霊」を
死んでしまったものとして、
 
新しく
「聖である霊」と呼ばれる方を
お迎えするなら、
 
この方が、
あの「法」の源である
「父である方」の御思いを
私の心にインプットして下さって
 
あの「法」の精神が
私たちの心にも
あるようにして下さるのだそうです。
 
もっともっと、
「聖である霊」と呼ばれる方に
心をお渡しして、
 
「父である方」の御思いが
私の心に来るように
なりたいものですね。
 
今日も。
 
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