風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

夜、主の歌が私と共にある。私の命の神への祈りが。

昼、

主は命じて

慈しみを私に送り、

 

夜、

主の歌が

私と共にある。

 

私の命の神への

祈りが。

詩編42:9

 

 

 

 イエスは

祈るため

山に行き、

 

神に祈って

夜を明かされた。

ルカ6:12

 

(ローズンゲン日々の聖句8/7;木)

 

 

 

 祈り、

それは

願い事をするとともに、

思いのすべてを知っていただき、

相談し、

意見を伺い、

賛美をささげること

でもあるのでしょうね。...
 
 大波に押し流されるような

逆境のさ中にあって、

 

まわりから

「お前の神はどこにいるのか」と

そしられる中にあって、

 

「主の歌」が

「神への祈り」だと

言っているようですね。

この詩篇の作者は。


 

また、

イエスが夜を明かして祈られた

この時は、

 

12使徒を選ぶときのことでしたから、

きっと、

自分を裏切ることになる

イスカリオテのユダ

12人の中に入れるかどうかで

御父と調整が

 

長引いたのでしょうか。

 

 

自分が選ばなければ、

ユダが滅びに落ちることはないからと

思われたのかもしれませんしね。

 

 

「感謝をもってささげる祈りと願いによって、

あなたがたの願い事を

神に

知っていただきなさい。」

(ピリピ4:6)


 

私にとって、

ああ、知っていただくことなのかと、

祈りが開けた御言葉でした。


 

あらゆる場合に、

あの方に

差し出し、

 

御前に広げて、

見ていただき、

知っていただきながら

歩むのですね。

 

今日も。

 

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