風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

やがて、喜び祝う声、ほめ歌を歌う声が聞こえるようになるのだそうです。私たち、あの方によって

やがて

喜び祝う声、

花婿と花嫁の声、

 

感謝の供え物を主の神殿に携えて来る者が

「万軍の主をほめたたえよ。

主は恵み深く、

その慈しみはとこしえに」と

歌う声が

聞こえるようになる。

エレミヤ書33:11

 

 

 

イエスは彼らに言われた。

「花婿が一緒にいるのに、

婚礼の客は

断食できるだろうか。」

マルコ2:19
   

 

 (ローズンゲン日々の聖句8/18;月)

 

 

 

 背きが極まって、

今は、

「人間も家畜もいなくて廃墟となった」と

言われている所も、

 

喜びの声、

婚礼の喜び、

礼拝に集う人たちのにぎわいを

回復し、

元どおりにすると

おっしゃるのですね。

あの方。
  
  

あの方との一つを嫌って、

自分が一人で

善悪を判断し、

他を従わせようとする者になった

私たち、

 

自分がトップに立ち、

自分一人が

良いもののすべてを独占し、

 

自分一人

生きようとする者。

 

暴虐と虐げが満ちるこの世界。


 

 

それでも

あの方は、

創造の目的

私たちと御自身との「一つ」を

回復し、

祝福を注ぐとおっしゃるのですね。

 

 

イエスが、

ただ、

あの方の御思いが成っていくことだけを

求めていったように、

 

あの方とイエスとの同じ「一つ)の関係に

私たちも

入れていただけるのだそうです。

 

 

 イエスが

、たくさんの悪霊が入っていて裸で墓場に住んでいた人を

解放し、

普通の生活ができるようにして

家に帰したのも、

 

12年間、

長血を患っていた女の人が

イエスの衣の裾のふさに触っただけでをいやされたのも、

 

死んでしまった会堂管理者ヤイロの娘を

生き返らせ

両親に返したのも、

 

5つのパンと2匹の魚で、

男だけで5千人はいた群集を

満腹させて帰したのも、

 

ベテスダの池のそばで、

38年も病気にかかって寝ていた人を

いやしたのも、

 

生まれつきの盲人の目を

見えるようにし、

 

死んで墓に納められ

4日も経っていた

ラザロを

「出て来なさい」のひと言で

よみがえらせたのも、

 

全部、

イエスから出たことではなく、

あの方がしようと思っていることだったというのですね。

イエスがその思いのとおりにしたことだったと。

 

 

そのイエスのように、

私たちも

あの方と一つ心になって、

あの方がしようと思っていらっしゃることをしていく者に

していただけるのだそうです。

 

 

そこには、

もう、

今までの宗教概念、

今までの考え方ややり方には

おさまりきれない、

新しいことが

どんどん起こって来るのだそうです。

 

新しいぶどう酒が

旧い革袋を張り裂いてしまうように。

 

今日も。


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