風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

神からの霊と呼ばれる方によって、与えていただいているものの大きさ、素晴らしさが分かるのですね。

主よ、御業はいかに大きく御計らいはいかに深いことでしょう。詩編92:6

 

 

 私たちは、世の霊ではなく、神からの霊を受けました。

それで私たちは、神から恵みとして与えられたものを知るようになったのです。Ⅰコリント2:12

    (ローズンゲン日々の聖句11/1;土)

...

 神からの霊を受けることが出来るよう計画して下さったのですね。あの方は。 御父、御子、御霊と呼ばれる方が、愛と尊敬のゆえに一つになっていらっしゃる、その一つに私たち人間も加わるようにと望まれたのだそうです(創世記1:26)。 それで、わたしはこういう風に考え、こんなようにやっていきたいのですよと文章で示しても、同じ考えになれない人間のために、天の父と呼ばれる方はもう一つの、別の道を拓いて下さったのだそうです。

 

 天の父と呼ばれる方は、まず、御子である方を女の子孫として人間の世に生れさせ、この方の上に、人類のそむきの罪、創造の目的から外れてしまっている結果を負わせて、この方を十字架刑で処刑し、神に呪われた者として天と地の間に高く掲げられたのだそうです。

 

 このことによって、私たち人間には罪の罰がひとかけらも残っていない者との法的手続きを済ませて下さったのだそうです。 その上で、この方を3日目に墓より復活させ、私たち人間の救いが完成したことを証明して下さったのですね。復活されたイエスは、40日にわたって、何度も弟子たちに現れて下さり、ご自身が死んだけれども生きていることを見せたうえで、オリーブ山から、弟子たちの見ている前で、天の父の御もとに帰って行かれたのだそうです。

 

 そのとき、言い残していかれたのですね。「エルサレムを離れないで、私から聞いた父の約束を待ちなさい。もう間もなく、あなたがたは聖霊のバブテスマを受けるからです」(使徒1:4~5)と。

 

 天の父と呼ばれる方は、私たちと心の思いを一つにするために、完全に御自分と思いを一つにしていらっしゃる方、聖である霊と呼ばれる方を私たちのうちに派遣し、この方によって私たちの心にご自身の御思いを書き付け、一つ思いをもち、一つ行動をとる者にしようとされたのだそうです(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)。

 

 手続きは、イエスによって全部完了しているのだそうです。 私たちが受け入れさえすれば、この神からの霊と呼ばれる方が来て下さり、この方によって私たちが恵みとして与えられたものを体験することになるのだそうです。

 

 そして、天の父と呼ばれる方が、私たちを通して、今日、したいと思われることを、私たちもしたいと願うようになり、それをする者にしていただけるのだそうですね。

今日も。

 

 

 

 

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