風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、私の魂もあの方を

神に、命の神に、私の魂は渇く。

 いつ御前に出て神の御顔を仰ぐことができるのか。詩編42:3

 

 

私達は、今すでに神の子ですが、

 自分がどのようになるかは、まだ示されてはいません。

しかし、御子が現れる時、御子に似た者となるということを知っています。なぜなら、その時御子をありのままに見るからです。Ⅰヨハネ3:2

 

    (ローズンゲン日々の聖句11/6;木)

...

 

 あの方の御顔が見えないとき、人々から、お前の神はどこにいるのかとあざ笑われるとき、また、苦しみの真っ只中で神はいないという思いにとらわれる時、私たちの魂はあの方を求めて渇くのですね。

でも、あの方は、必ず、私たちを御前に呼び出し、親しく声をかけて下さり、御顔を仰がせて下さるのだそうです。 私たちは、現に、あの方の憐れみによって子としていただいており、あの方は私たちを孤児のようにされることはないのだそうですから。

 

 

 御子である方。

あの時は私たちの罪を背負って十字架刑で処刑されるために来て下さいました。

しかし、今度は、2度目には、王として、新しい世を治める者として来られるのだそうです。

その時、あの方の憐れみに依り頼んだ者は、御子に似た者に、御子と同じ復活のからだを与えていただき、

御子に似た身分にしていただけるのだそうです。

 その時がいつ来ても、すぐ飛び出していけるように、自分の正しさや自分の信仰であの方の前に出ようとするのでなく、あの方の憐れみを足掛かりにして生きていたいですね。

今日も。

 

 

 

 

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