風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

わたしがあなたがたを愛したように、

[

主は契約を告げ示し、あなたたちが行うべきことを命じられた。

 それが十戒である。主はそれを2枚の石の板に書き記された。申命記4:13

 

 

 

わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。

  これがわたしの掟である。ヨハネ15:12

 

      (ローズンゲン日々の聖句11/13;木)

 

 

  行えば生きることができる言葉、旧い契約。けれども、イスラエル1500年の歴史を通して実証されたのは、これを行えない人間の実態だったのですね。

 

 天の父と呼ばれている方は、モーセを通して示した律法を自分の力で行うこと(旧い契約)では、及第点に達することができない人間を、なお、惜しんで、別の救いの道を用意して下さったのだそうです。しかも、なんとその道は、モーセの律法の中に、すでに予告されていたのだそうです。

 

 天の父と呼ばれる方は、御自分と心を一つにし、思いを一つにする者を求めておられるのですね。

 

 それで、外側から、御思いを示し、自分の力で同じ思いになってもらう方法では無理なことが実証された今、今度は、内側から、心のほうから変えていく道を拓かれたのだそうです。

 

心の思いは霊の思いから来ているのだそうですから、心の思いを変えるためには、その思いの出どころである霊を取り替えればいいのだそうです。

 

 天の父は、ご自分が妬むほどに愛しておられる方、御自分と100%完全に思いを一つにしていらっしゃるもう一人の方、聖である霊と呼ばれる方を、私たち人間の内に派遣し、この方によって、私たち人間の心に御自身の思いと同じ思いを書き付けるという道を、新しい契約として提示しておられるのですね(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)。

 

 そして、ご計画の時が満ちて、天の父は、御子と呼ばれる方を人間イエスとして人の世に生れさせ、この方の上に私たち人類の罪のすべてを残りなく背負わせ、私たちの身代わりにしてこの方を十字架刑で処刑し、神に呪われた者として、天と地との間に高く掲げてさらしものにされたのだそうです。それは、過越しの祭りの直前の金曜日のことだったのだそうです。

 

 そして、天の父と呼ばれる方は、私たち人間の罪のすべてが処分されたことの証明として、3日目、日曜日の朝早く、この方を復活させられたのですね。

イエスは40日にわたって何度も弟子たちに現れ、確かに復活し生きていることを実証したうえで、オリーブ山から、弟子たちの見ている前で、天に帰って行かれたのだそうです。


 「エルサレムから離れないで、私から聞いた父の約束を待ちなさい。もう間もなく、あなたがたは聖霊のバブテスマを受けるからです」と言い残して(使徒1:4~5)。

 

 

 イエスの言葉に従って、エルサレムに留まって待っていた弟子たち。
ちょうど、10日後のペンテコステ(五旬節)の祭りの朝の9時。突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡り、炎のような分かれた舌が現れて、一人一人の上にとどまり、弟子たちみなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他の言葉で話しだしたのですね(使徒2:1~4)。

 

 2000年ほど前の、あのペンテコステの日以来、新しい契約、イエスの十字架刑の処刑で、生れたときからの霊という私は処刑されたものと見なされたことを信じ受け取った者のうちに、聖である霊と呼ばれる方が来て下さり、御父の御思いを心に書き付けて下さって、御父と一つ思いを思う者としていただき、御霊が語らせられるままに語っていく、行動していくという新しい生き方が始まっているのですね。

 

 それで、御父が、御子イエスが、私たちを愛して下さっているその愛の思いが私たちの心にも来て、その思いで、私たちも御父を、御子を愛し、互いに愛し合うようになるのだそうです。
 今日も、


 

 

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