風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

憐れみに依り頼んで

なぜ、労苦する者に光を賜り、悩み嘆く者を生かしておかれるのか。

  彼らは死を待っているが、死は来ない。ヨブ記3:20~21

 

 

信じます。信仰のない私をお助けください。マルコ9:24

 

   (ローズンゲン日々の聖句11/19;火)

 

...

 大きな艱難、苦難、あるいは痛み、悲しみで死を願うとき、天の父と呼ばれる方は、それでもなお、生きることを望まれるのですね。 

 私たちの側には信仰なく、天の父と呼ばれる方を信頼する思いがなくても、無いままで、あの方の憐れみを頼りに助けを願って行けば、あの方は、私の信仰のないことを責めないで、憐れんで下さり、大いなる御力をもって助けて下さる方なのだそうです。

 

 私たち、自分の信仰や、正しさ、何らかの「していただける資格」を足掛かりにして求めようとしますが、「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする」と言われる方の憐れみに依り頼んで御前に出て行っていいのだそうです。あのてんかんの子を持つ父親のように。

今日も。

 

 

 

 

[にほんブログ村哲学・思想ブログキリスト教へ]

 

<a href="http://www.blogmura.com/point/00697809.html" ><img src="http://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv00697809.gif" alt="PVアクセスランキングにほんブログ村" /></a>

 

[269RANKのランキングサイト]

 

 

"哲学・思想ブログランキングへ"