風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

悪い者が手を触れることはができないのだそうです。あの方が守って下さるので

ダニエルの言葉:

神様が天使を送って獅子の口を閉ざしてくださいましたので、 
  私はなんの危害も受けませんでした。ダニエル書6:23
 
 
神からお生まれになった方が、その人を守ってくださり、
  悪い者は手を触れることができません。Ⅰヨハネ5:18
 
    (ローズンゲン日々の聖句11/21;金)
 
 
  私たちは神によって造られたものですが、神からお生まれになった方がおられるのですね。その独り子である神とか、御子である神とか呼ばれるその方がご自身と一つになっている者を守って下さるので、悪い者が手を触れることはできず、悪い者が罪を犯させることはできなくなっているのだそうです。
 
 紀元前530年ころのこと、バビロン帝国を引き継いだメディア人ダリヨスの治世、ユダヤから捕囚としてバビロンに連れて来られていたダニエルは、バビロン帝国で、また、次のペルシャ帝国で重く用いられていたのだそうですが、他の大臣や太守たちの策謀により、獅子の穴に投げ込まれることになったのだそうです。しかし、ダニエルが仕えている生けるまことの神は、天使を送って獅子がダニエルに危害を加えることがないよう守って下さったのだそうです。
 天の神、主と呼ばれる方、あるいは御子である神と呼ばれる方はご自分に属する者を守って下さるのですね。
 
 けれども、遠藤周作の小説にもあるように、神が「沈黙」を続けておられるように思えるときもあるのですね。
初代教会において、ローマ皇帝を神として礼拝しないでイエスをキリストと告白したために多くの者が獅子の餌にされたり、たいまつ代わりに火をつけて燃やされたりしたのだそうです。中世ヨーロッパでも、また江戸時代の日本でも数多くの人たちがイエスをキリストと告白するために殺されていったのですね。現在においても世界の多くの地で迫害され、殉教している人たちがいます。
 
 神は、私たちの願いの通りに動く神ではなく、ご自身で決定され、ご計画の通りにことを運ばれる方。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする」と言われる方。生ける神の手の中に陥ることは恐ろしいこと(ヘブル10:30、31)であることを心しつつ、「みこころが天で行われるように私に関しても行われますように」(マタイ6:10)と願っていきたいですね。「あなたを通してしようと思っていたことが全部できたよ。良かったよ」と言っていただけるように。今日も。