風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

憐れんでくださいと叫び続けたのだそうです。あの二人は


主よ、あなたを呼び求めます。
   私の岩よ、私に対して沈黙しないでください。詩編28:1

 

 

二人の盲人がイエスがお通りと聞いて叫んだ。
   「主よ、ダビデの子よ、私たちを憐れんでください。」...


群集は叱りつけて黙らせようとしたが、
   二人はますます叫んだ。マタイ20:30~31


 

      (ローズンゲン日々の聖句11/22;土)

 

 

 あの方が沈黙して、答えて下さらないかのように思える時も、自分の側には答えていただく資格など全くないことを自覚し、あの方の憐れみだけに依りすがっていく者は叫び続けることができるのですね。自分の側には、信仰もなく、熱心さも、正しさ、清さもない者は。


 あの方は、そのような者をかわしそうに思って答えて下さるのだそうです。

この二人の盲人も、イエスから「わたしになにをしてほしいのか」と尋ねられ、そくざに「主よ。この目をあけていただきたいのです」と答え、目が見えるようにしていただき、イエスについていく者になったのだそうです。


 イエスが御在世の時はイエスについて行けたのですが、イエスが十字架に架けられて死なれ、葬られ、3日目に墓より復活し、天に帰られた今は、イエスに代わって派遣されているもう一人の方、聖である霊と呼ばれる方について行くのだそうです。

この方が、私たちの心に置いて下さる天の父と呼ばれる方の御思いについて行けばいいのだそうです。


 イエスの十字架に合わせられて、生まれたときからの霊という私が十字架につけられ、処刑された者は、聖である霊とか御霊とか呼ばれる方をお迎えし、この方が置いて下さる思いに導かれて進めばいいのだそうです(ガラテヤ5:24~25)。
 今日も。

 

 


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