風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

慈しみと恵み、平和が来るのだそうですね。今おられ、かつておられ、やがて来られる方から

主において常に喜びなさい。
   重ねて言います。喜びなさい。
     主はすぐ近くにおられます。フィリピ書4:4〜5(今週の聖句)


天が地を越えて高いように、
   慈しみは主を畏れる人を超えて大きい。詩編103:11


今おられ、かつておられ、

  やがて来られる方から、
     恵みと平和があなたがたにあるように。黙示録1:4

          (ローズンゲン日々の聖句12/21;日)

 

 

 

 天が地を超えて高いように、東が西から遠いように、

天の神、主が私たち人間を思っていて下さる慈しみは大きいのだそうです。

 

 その慈しみのゆえに、今、天にあって父である神の右の座に就いておられ、かつては、ナザレ村出身のイエスとして十字架に架かるために人間の世を歩まれ、さらにその前は、天地の造られる前から、神の独り子として父である神と共におられて、天地、宇宙の創造に関わられた方。

 その方が、やがて、天の雲に乗って来られるのを見ることになるのだそうです。彼を突き刺した者たち、十字架に架けた者たちがその方を見ることに。
 手と足に十字架に架かったときの大きな釘の穴があり、わき腹には死亡を確認するためにローマ兵が槍で突き刺した傷跡を持っておられる方が、万物の支配者として来られるのを。

 

 その方は、ほふられたと見える小羊と表現されています(黙示録5:6)。民の罪を背負って殺される小羊に。

 イエスは、私たちすべての人類の罪を背負って、身代わりとなり、処刑されて下さったということなのでしょうか。
  私たちが、天の神、主が望んでおられるように、心を一つにし、思いを一つにし、父と子の関係になり、御思いを一緒にする者にして下さる、子である身分を与える霊、御思いを私たちの心に書き付けられる聖である霊と呼ばれる方が私たちのうちに来られるために。

 その方によって、私たちが律法に表された天の神、主の御思いを内に持つ者になるために。


  キリスト・イエスによって、生まれたときからの霊という自分自身を十字架につけてしまった者は、御霊が心に置いて下さる父である神の御思いに導かれて進むのだそうです(ガラテヤ5:24~25)。喜びにあふれ、平安に満たされて。
 今日も

 

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