風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

私たちの間に宿られたのだそうです。人として、あの方が

いにしえの神は難を避ける場所である。申命記33:27

 

 

 

言葉は肉となって、私たちの間に宿られた。   私たちはその栄光を見た。    それは父の独り子としての栄光であって、...      恵みと真理に満ちていた。ヨハネ1:14

 

          (ローズンゲン日々の聖句12/25;木)

 

 

 この天地宇宙、地球の自然環境を造られた方が避け所となっていて下さるのだそうです。

 

 その手続きのために、独り子である神とか言葉である神とか呼ばれる方が、

その栄光の座を後にして、人間の世に、人として来られたのだそうです。

それは恵みであり、「本当」だったのだそうです。まやかしではなく。

 この方は、旧約聖書に預言されているとおりに、私たち人間の罪を背負って処刑されるために、

人間として生まれて下さったのだそうです。十字架刑で処刑されるために。

 この方が、十字架の苦しみの中で「すべてが終わった、完了した」と言われたとき、 私たちが天の神、主を避けどころとし、

この方の前にはばかることなく出て行けるための手続きが完了したのだそうです。

 それで、今は、恐れることなく、怖がることなく、罪のそのままを御前に差し出し、

全部見ていただき、知っていただいている出来事、光りの出来事ににしていただいて、

大安心の中を進んで行けるのだそうです。今日も。

 

 

 

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