風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

お金なしで飲ませて下さるのだそうですね。  命の泉の水

渇きを覚えている者は皆、水のところに来るがよい。イザヤ書55:1

 

 

玉座に座っておられる方が言われた。
   「渇いている者には、
     命の水の泉から価なしに飲ませよう。」黙示録21:6
...

          (ローズンゲン日々の聖句12/26金)

 

 

 天の神、主は、すべての人に命の泉の水を飲んで欲しいと願って下さっているようですね。

欲しい者すべてに飲ませて下さるのだそうです。


 けれども、「嫌がる馬に水を飲ませることはできない」と言われているように、

天の神、主も、私たちの自由意思を尊重しておられるので

(自由意思によって、自分からすすんでするのでなければ、

人間が神のかたちになることはできないわけですから)、

私たちが飲もうとするかどうか、飲む必要を覚えるかどうか、

のどの渇きを感じているかどうかが問題になるということでしょうか。

 

 

 イエスは、「健康な人には医者はいらない。医者がいるのは病人である」と言われましたが、

自分は正しい人間だと思っている人は、天の神、主が用意された救いなど

必要がないと思ってしまうわけでしょうかね。

 

 

 自分があるべき場所、創造の目的から的外れになっている者であることが分かることで

救いを受け取ろうとする心が起こって来るのでしょうか。

 

 大胆に、自分自身が的外れになっている者であることを認めて、

大胆に、あの方の御前に進み出、イエスによって用意された救いをもらい、

聖である霊と呼ばれる方をお迎えして、天の神、主と、思いを通い合わせながら進みたいですね。

今日も。

 

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