風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

一つ、あがめる思いにしていただけるのだそうです。あの方と

 

あなたの慈しみとまことのゆえに、御名に感謝をささげます。  その御名のすべてにまさって、   あなたは仰せを大いなるものとされました。詩編138:2

 

 

天におられる私たちの父よ、

  御名があがめられますように。マタイ6:9...

        (ローズンゲン日々の聖句1/5;月)

 

 

 仰られたことをそのとおりに実行なさる方。

その慈しみとまことのゆえに、感謝と賛美をささげるのですね。

 天の神、主の思っておられることが言葉となって発せられ、

その言葉どおりの事実が実現していくのだそうです。

 

 この関係をよく知っていたということでしょうか。 全身ツァラト(重い皮膚病、ライ)にかかっていた人は、イエスの前にひれ伏して「主よ。お心一つで、私をきよくしていただけます」と願い、イエスも「わたしの心だ。きよくなれ」と仰られ、その言葉のとおりにすぐツァラトが消えたのだそうです(マルコ2:40~42、ルカ5:12)。「お心一つで」、あなたがいやそうと思って下さりさえすればいやしていただけますということなのですね。

 

 また、ローマ兵の百人隊長が、「お言葉をいただかせてください。そうすれば、私のしもべは必ずいやされます」と言ったのだそうですが、イエスの言葉は、今まさに死にかけている重病人さえもいやす言葉、言葉のとおりの事実が起こる言葉だと信じていたようですね。

 

 思いと言葉が一致しておられる方。言葉どおりの方。 「信」という漢字は、人と言葉がイコールという意味だと聞いたことがありますが、

天の神、主は、まさしく御自身と言葉がイコールな方のようです。

 言葉即御自身、それで、言葉を全ての御名にまさって大いなるものとされたということでしょうか。

 

 父である方は、

御子である方(神のことばの位置にある方)をすべての名の上に置かれ、

御名の全てにまさって大いなるものとされ、

聖である霊と呼ばれる方を妬むほどに愛しておられる。

 御子である方、聖である霊と呼ばれる方は、父である方を愛と尊敬をもってあがめておられる。  その御父をあがめる思いが私たちの心にも来て、置かれて、書き付けていただけるのだそうです(エレミヤ31:33)。

今日も。

 

 

 

 

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