風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

神の霊によって導かれるようにしていただけるのだそうです。私たちも

神の霊によって導かれる者は
 皆、神の子なのです。
ロマ8:14(今週の聖句)
 
 
主よ、お救い下さい。
 主の慈しみに生きる人は絶え、

  人の子らの中から、信仰のある人は消え去りました。詩編12:2

 
 
イエスは12人に、
 「あなたがたも離れて行きたいか」と言われた。

シモン・ペテロが答えた。
 「主よ、私たちはだれとところへ行きましょうか。
   あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。」
ヨハネ6:67~68
 
         (ローズンゲン日々の聖句1/11;日)
 
 
 信仰のある人とは、
どんなことがあっても動かない、強い信念を持っている人のことではなく、
主の慈しみに信頼して生きる人のことのようですね。
 
 多くの人がイエスのもとに集まって来、多くの人が去って行きました。
けれども、永遠の命の言葉を持っている方、それを私たちに語ってくれる方は、
このイエスお一人なのだそうです。
 

 イエスは、単なる人ではなく、天地の造られる前、永遠の昔から、御父と共におられ、造り主として天地創造に関わられた方、今もこの宇宙を保持しておられる方なのだそうです。
 
 その方が、私たちを救うために、御父のご計画に従って、私たちと同じ人間になられ、
私たち人類の罪の全てをご自身の上に置いて、十字架刑で処刑されて下さったのだそうです。
 
 そして、ユダヤ人にとっては一番大事な過越しの祭りの安息日が間もなく始まろうとしていたので、急いで、近くにあった、隠れた弟子のアリマタヤのヨセフが自分のために掘っておいた墓に葬られたのだそうですが、三日目、日曜日の朝、よみがえられたのだそうです。
 
 そして、40日に渡って何度も弟子たちに御自身を現し、確かに生きていることを見せた上で、
弟子たちの見ている前で、オリーブ山から天に帰って行かれたのだそうです。
 
 天の、父なる神の右の座に着かれたイエスは、私たちが求めさえすれば、御自分に代わって、もう一人の助け主、聖である霊と呼ばれる方を私たち人間の一人一人に派遣して下さって、この方によって、私たち一人一人のそれぞれに関わる御父の御思いを心に書き付けて下さるのですね。
その御思いに導かれて行動する者に「神の子」の身分を与えて下さり、共同相続人として下さるのだそうです(ロマ8:17)。
 
 誰でも、聖書の、この約束の言葉に信頼して求めるなら、この言葉のとおりに聖である霊と呼ばれる方を派遣して、私たちを神の子として下さり、この地上の生涯を神の子の立場で歩ませて下さり、永遠の命で生きさせて下さるのだそうです。
今日も。
 
 
 
 

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