風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

好意と恵みによる救いをいただいて

ノアは

 主の好意を得た。創世記6:8

 

 

私たちは、  主イエスの恵みによって救われると

  信じています。使徒15:11

...

      (ローズンゲン日々の聖句1/12;月・祝)

 

 

 恵み、それは、求める資格のない、受けるに値する正当な働きや功績のない者に、

与える側の好意、憐れみで、一方的に差し出して下さる良いものなのでしょうね。

 

 自分を磨き、建て上げ、立派にし、自分の働きを積み上げて、天の神、主の前に出て行く道があります。

これを目指している人にとっては、主である方の好意とか憐れみ、恵みは不要な、

あるいは、自分の努力をくじく害のあるものですら、あるのでしょうか。

 

 しかし、自分の努力に疲れ果て、

あるいは、努力しても、努力しても、一向に自分を良く出来ない現実の前に行き詰っている人にとっては、

天の神、主が、好意によって、恵み、憐れみによって救いを用意し、差し出していて下さるとの知らせは、

暗闇で見た光のように輝かしい、うれしいものなのでしょうね。

 

 律法を守るために一生懸命努力して来たユダヤ人。イエスをキリストと信じて救われたとはいえ、

律法の外にいる異邦人が割礼も受けず、モーセの律法を守りもしないで、

ただ、イエスを信じるだけで救われるということは受け入れがたいことだったようです。

 けれども、ペテロから、天の神、主が、ペテロを用いて、異邦人コルネリオとペテロの話しを聞くために、その家に集まっていた人全員に聖である霊と呼ばれる方を派遣された事実を順序正しく説明を受け、「自分達、ユダヤ人も、律法を行うことが出来たからではなく、主イエスの恵みによって救われたことを信じているが、異邦人であるあの人たちも同じなのです」とのペテロの説明に納得したのだそうですね。

 

 私たち、選民ユダヤ人ではなく、異邦人として、日本に生を受けた者ですが、天の神、主の好意、恵みと憐れみによって用意して下さった、イエスによる救いをいただき、約束の聖である霊と呼ばれる方をお迎えし、この方によって、天の神、主が思っていらっしゃる、私たち一人一人に関わる、今日の御思いを心の思いに置いていただいて、その思いに導かれて進むように招いていて下さるのだそうですね。

 

 今日、成人式を迎える人も、これから成人式を迎える人も、先に成人になっている私たちも、この方の好意と恵みによる新しい生き方を体験して、花丸人生を送っていきたいですね。今日も。

 

 

 

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