風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

栄光に輝く王が来られるその日に

城門よ、頭を上げよ、
 とこしえの門よ、身を起こせ。
  栄光に輝く王が来られる。詩編24:7

 

主人が婚宴から帰って来て戸をたたくとき、
 すぐに開けようと待っている人のようにしていなさい。ルカ12:36


         (ローズンゲン日々の聖句1/17;土)

 

 

 エルサレムの東向きの門、黄金門と呼ばれるオリーブ山に面した門は、

今は閉じられたままなのだそうです。
その門が開けられ、王である方がその門から入城なさる日が来るのだそうです。

栄光に輝く王が入って来られるその日が。

けれども、その日がいつなのかは不明なのですね。

 

 イエス在世の当時、イスラエルでの婚礼は1週間も続けられていたのだそうです。

それで、ぶどう酒がなくなってしまうこともあるのだそうです(ヨハネ2:3)。

 


そして、婚礼に招かれて行った主人がいつ帰って来るか分からないのですね。

今日なのか明日なのか、1週間後なのか。真夜中なのか、明け方なのか。

主人が帰って来て戸をたたいたとき、すぐ、開けられるように、

待っているのを見られるしもべは幸いだとイエスはおっしゃいます。

 

 

 イエスが再臨されて、黄金門からエルサレム入城される前に、

一度、来られることが預言されています。

パウロはこの時の様子を、「主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。

それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、

次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、

空中で主と会うのです。

このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります(Ⅰテサロニケ4:16~17)

と記しています。

これは地球上、全世界、同時に起こるのだそうです。

それで、昼間、このことを迎える人がおり、

夜中に迎える人がいるわけですね(マタイ24:40、ルカ17:34)。

 


 十字架刑で処刑され、墓に葬られ、復活し、天に帰られたイエスが再び来られるその日に、


招きに応じて、ただちに御前に飛び出して行けるようにしておくようにということでしょうか。

 

 


 私たち、少しでも自分をきれいにして、信仰深くなってから御前に出ようとするものですが、


そのとき、取り残されないためには、


イエスの十字架の救いに信頼して、ありのままの、自分の実態そのもので


御前に出て行く練習をしておいた方がいいようですね。


今日も。

 

 

 

 

 


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