風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

和解を受け取って欲しいのだそうです。あの方、私たちに

どうか主が、
 激しく怒られることなく、
  いつまでも悪に心を留められることなく、
   あなたの民である私たちすべてに、
    目を留めてくださるように。イザヤ書64:8

 

キリストはおいでになり、
 遠く離れているあなたがたにも、
  また、近くにいる人々にも、
   平和の福音を告げ知らせられました。エフェソ書2:17

          (ローズンゲン日々の聖句1/23;金)

 

 

 私たちはみな、
汚れた者のようになり、
私たちの義はみな、不潔な着物のよう、なのだそうです。

 それでも、
救いを求めて天の神、主の御名を呼ぶ者もなく、
奮い立って、この方にすがる者も見当たらないと
あの方はおっしゃっておられるのですね。

 

 預言者イザヤの
「主よ。どうかひどく怒らないでください。
いつまでも、咎を覚えないでください。
どうか今、
私たちがみな、あなたによって造られた者、
あなたが私たちの造り主であることに目を留めてください」
との叫びに心を合わせて行きたいですね。
私たちも。

 

 私たちは求めなかったのに、
憐れみにすがろうともしなかったのに、
天の神、主は、
御子である方を救い主、キリストとして人の世にお遣わしくださり、
この方が私たちに代わって十字架刑を受けて下さったことで、
天の神、主と私たち人類との関係が
怒りの関係、処罰する関係から、
和解し、一つ家族になり、心通じ合い、思いを一つにしあう関係に入る道を
開いて下さったのだそうです。

 

 天の神、主は、私たち一人一人に、
この和解を受け取り、
聖である霊と呼ばれる方をお迎えして、
子としての身分を受け取り、
この方によって御父の御思いを心に置いていただいて、
御父と心通じ合い、思いを一つにしあう関係に入るよう、
私たちに提案し、懇願しておられるのだそうです(Ⅱコリント5:20)。
今日も。

 

 

 


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