風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

信頼して大丈夫なのですね。この方

エフライムの腕を支えて、
 歩くことを教えたのは、わたしだ。
しかし、わたしが彼らをいやしたことを、
 彼らは知らなかった。ホセア書11:3

 


私たちが誠実でなくても、
キリストは常に真実であられる。
キリストは御自身を、否むことができないからである。Ⅱテモテ2:13

      (ローズンゲン日々の聖句1/31;土)

あの方は言われます。
イスラエルが幼いころ、わたしは彼を愛し、
わたしの子をエジプトから呼び出した。
それなのに、彼らを呼べば呼ぶほど、
 彼らはいよいよ遠ざかり、
バアルたちにいけにえをささげ、
 刻んだ像に香をたいた(ホセア11:1~2)と。

それでも、あの方はエフライム(イスラエルの別称)の腕を支えて
歩くことを教えたのに、彼らは、それを認めようとはしなかったのだそうです。

このように、イスラエルに代表される、
 私たち人間は、誠実でないものですが、
それにもかかわらず、あの方の側、キリストご自身は
常に真実であって下さって、
 約束を誠実に実行して下さっているのですね。

それで、勧めているのですね。
ダビデの子孫として生まれ、
 死者の中からよみがえったイエス・キリストを、
いつも思っていなさい。
もし、私たちが、彼とともに(十字架刑で)死んだのなら、
 彼とともに生きるようになる。
もし耐え忍んでいるなら、彼とともに治めるようになる。
もし彼を否んだなら、彼もまた私たちを否まれる(Ⅱテモテ2:8~12)と。

 


生れたときからの私という霊は、
イエスと共に十字架刑で処刑されたものと認め、

聖である霊と呼ばれる方によって、
 彼(イエス)とともに生きるのですね。私たち。
 今日も。


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