風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

生きることができる道

今、私たちはエルサレムへ上って行く。
 人の子について預言者が書いたことは
 みな実現する。ルカ18:31

 

 

 

あなたたちの神、主が命じられた道を
ひたすら歩みなさい。
そうすれば、生きることができる。申命記5:33

 

 

 


イエスの言葉;
わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、
 岩の上に家を建てた賢い人に似ている。マタイ7:24

 


          (ローズンゲン日々の聖句2/15;日)

 


 イエスは、
 預言者が書いているとおりに、
 処刑されるためにエルサレムに上って行こうとされるのですね。

 

 

 

 天の神、主は、
 私たち人間の代表としてイスラエルの民を選び、
これを行うなら生きることができる道を示し、
800年ほどの期間を通して
 これを行うことができるかどうかを実験されたようですね。

 


 その結果は、いよいよ背きが明らかになって、
イスラエルを滅ぼし尽くさないために、
バビロンの王ネブカデネザルを用いてイスラエルを打ち、
 国を失わせ、
 捕囚の憂き目に遭わせることになったのだそうです。

 


 このイスラエルの歴史を通して、
 「義人はいない。ひとりもいない。
 悟りのある人はいない。
 神を求める人はいない。
すべての人が迷い出て、皆、ともに無益なものとなった。
 善を行う人はいない。
ひとりもいない。(ロマ3:10~12)」ことが
実証されたうえで、
 天の神、主は、

律法とは別に、
しかも、律法と預言者によってあかしされた
神の義を示されたのだそうです(ロマ3:21)。

 


 それは、イエスの十字架刑での処刑を通して
私たち人間に与えられたもので、
モーセを通して与えられた前の契約のように、
 石の板に書かれた、あるいは、紙に印刷された、

外側にある律法を自分の力で守り行っていくことでは

絶望するしかない者に、
イエスによって
天の神、主が、恵みとして一方的に与えて下さるものなのだそうです。

 


 イエスの十字架刑での処刑を、私の死と受け取った者に、
もう一人の方、聖である霊と呼ばれる方を派遣して、
この方によって、私たちの心を変えて下さる(ロマ12:2)というもので、

私たちの内側に律法(御思い)を置き、
 私たちの心にこれを書き記して下さる(エレミヤ31:33)
というものなのだそうです。

 


 この、聖である霊と呼ばれる方を通して心に来る思いについて行く者は、

自分の理性による善悪の判断という砂地の上に自分の行動を建てるのではなく、

天の神、主の御思いという岩盤の上に自分の行動を建てていくことになるのだそうですね。
 今日も。

 

 

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