風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

天の神、主の中で既になっている事実があるのだそうですね。私たちにはまだ見えていなくても。

今こそ、心と魂を傾けて、主を求めなさい。歴代誌上22:19
 
 
私自身は、既に捕えたとは思っていません。
なすべきことはただ一つ、
後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、

神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすらは走ることです。フィリピ書3:13~14
 
               (ローズンゲン日々の聖句4/27;月)
 
 
 世を去るときが近づいたダビデ王は、天の神、主の神殿を建てることについて、息子ソロモンとアブラハムの子孫に、心を尽くし、精神を尽くして、主に求めるようにと言っているようですね。
 
 使徒パウロも、信仰と事実との関係について、
あの方が「こうした」とおっしゃるから、そのお言葉に信頼して、そうなっていると受け取っているけれど、
事実はこれから起こることなので、それを得るよう、その事実に向かって身をのばして走っているのだと言っているようですね。
「私は、既に得たのでも、既に完全にされているのでもない。ただ捕えようとして、追及しているのです」と(フィリピ3:12)
 
 今日の、天の神、主が私を通してしようと思っておられることにあずかることも、
この身体を脱いで、新しい、復活のからだを与えていただいて、御前に出て栄冠をいただくことも。
 
 私たちも、今、なっているかどうかに気を取られて立ち止まりがちなのですが、
なっていない自分を認めて、
ただ、うしろのものを忘れて、ひたすら、前に向かって身をのばし、その事実が自分の身の現実となるようにと主に求めていくことのようですね。
今日も。
 
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