風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

栄光ある現れを待ち望む者に

主を畏れ、心を尽くし、まことをもって主に仕えなさい。
主がいかに偉大なことをあなたたちに示されたかを悟りなさい。
サムエル記上12:24
 キリストが私たちのために御自身を献げられたのは、
私たちをあらゆる不法から贖い出し、
良い行いに熱心な民をご自分のものとしてきよめるためだったのです。
テトス書2:14
 
 見えない神により頼むよりも、他の国々のように王が欲しいと迫る民に、預言者サムエルが答えた言葉なのですね。結果的にも、王を立てたイスラエルの民は、いよいよ神をないがしろにしていくわけですけれど、天の神、主と呼ばれる方との関係を大切にしていきなさいと勧めているのですね。。
 
 私たちも、見えない神により頼むよりも、自分の理性による判断に頼り、その判断による頼りがいのありそうな「見えるもの」により頼んで行く性質を内に持つ者です。
 
 そのような、自分をより強く、立派な者にして、天の神、主と呼ばれる方に対抗し、この方よりも自分を上にしようとする私たちを――その結果は平和ではなく、人間、お互い同士の対立、争いであり、滅びなのですが――贖(あがな)い出し、買い戻して、この方の愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和な御思いに心を合せていく者にし、私たち人間を御自分の宝の民とするために、イエスは御自身をささげられ、私たちに代わって十字架刑で処刑されて下さったのだそうです。
 
 それで、このイエスに信頼する者は、不敬虔とこの世の欲から離れ、この時代にあって、慎み深く、正しく、敬虔に生活し、祝福された望み、大いなる神であり私たちの救い主であるキリスト・イエスの栄光ある現れを待ち望む者にしていただけるのだそうです(テトス2:11~14)。聖である霊と呼ばれる方のお働きによって。
 それで、「聖霊に満たされなさい」と勧められているのでしょうか(エペソ5:18)。
 今日も。
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