風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

真理の霊と呼ばれる方が来て下さるのだそうです。私たちに。

「武力によらず、権力によらず、ただわが霊によって」
と万軍の主は言われる。
ゼカリヤ書4:6(今週の聖句)
 
 主を待ち望め。
雄々しくあれ。

心を強くせよ。
主を待ち望め。
詩編27:14
 
 しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、
あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。
ヨハネ16:13
 
                (ローズンゲン日々の聖句5/24;日)
 
 武力によらず、権力によらず、私たち、人間の側のどんな力にもよらないで、天の神、主が私たちを導いてなされることがある、のだそうですね。
 
 私たち、天の神、主と心を一つにしていく者として望まれ、心を一つにしていく者として造られたのだそうです(創世記1:26、31)。
 けれども、私たちは、この方に対抗して、天の神、主と心を一つにしていくよりも、自分の理性の判断を実現していく、自分を自分の主人としていく生き方をしていく者になってしまっているのですね(創世記3:22)。
 それでも、天の神、主は、私たち人間を見捨ててしまわないで、
なお、御自分と心を一つにする者になって欲しいと願い続けていて下さるのだそうですね。
 
 それで、私たち人間が、背きをやめて、和解して帰って来るようにと、帰る道を用意して下さったのだそうです。
 天の神、主は、神の御子である方を、人間イエスとして人間の世に派遣され、人として人の世に生れさせ、この方が、およそ、33歳の頃、この方を私たち人間の身代わりとして、私たち人間のすべての罪をこの方に背負わせて、十字架刑で処刑して、私たちを処刑が済んだものとして手続きして下さっているのだそうです。
 
 そして、私たち人間の背きの罪の処分を全部終えたうえで、もう一人の方、「聖である霊」と呼ばれる方を私たち一人ひとりに派遣して下さって、この方によって、私たちの心に、一人ひとりに対して思っておられる部分において、御思いを置いて下さって、私たちが受け取るなら、私たちが天の神、主と思いを一つにしていくようにしていて下さるのだそうです。
 でも、私たち、なかなか、その事実の中に入って行けませんけれど、だからといってこの約束がウソだということではないのですね。
 
 天の神、主は言われます。
「主を待ち望め。
雄々しくあれ。
心を強くせよ。
主を待ち望め。」と。
今日も。
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