風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

貧しい者、塵あくたの中にいる者を高く上げてくださる高く上げて下さる方

あなたがたは恵みにより、信仰によって救われました。
このことは、神の賜物です。
エフェソ書2:8(今週の聖句)
 
 主は貧しい者を
(あくた)の中から高く上げられた。
サムエル記上2:8

...

 あなたがたの中に、100匹の羊を持っている人がいて、
その1匹を見失ったとすれば、99匹を野原に残して、
見失った1匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。
そして見つけたら、
喜んでその羊を担(かつ)ぐだろう。
ルカ15:4~5
        (ローズンゲン日々の聖句7/5;日)
 
 人を高くし、また低くされるのは
天の神、主がなさることなのだそうですね。
社会の一番低い所にいる貧しい人を高い地位に上げられるのも
主がなさることなのだそうです。
 
 その当時、イスラエルには身分の高い人や有能な人、
学問を積んだ優秀な人など、たくさんいたのに、
イエスは、「ガリラヤから何の良い者が出ようか」と
言われているガリラヤの、
しかも、何の学問もしていない漁師を一番弟子に選び、
使徒として立てられたのだそうです(ルカ5:1~11)。
 
 羊飼いの声を聞こうとせず、
自分の思う通りに動いて、迷い出てしまった羊の1匹も、
羊飼いは忘れず、探し求めるものなのだそうですね。
 
 そして、その1匹を見つけたら、大喜びで肩に乗せて家に帰り、
友達や近所の人を呼び集め、
「いなくなった羊を見つけましたから、
いっしょに喜んでください」と言うのだそうです。
 
 そのように、さまよい出た人が帰ってくると
天では大きな喜びが起こるのだそうです。
 
 天の神、主は、この世の取るに足りない者、
見下されている者、無きに等しい者をあえて選ばれ、
御業を表すために用いて下さる方なのだそうですね(Ⅰコリント1:28)。
この新しい週も。
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