風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

和解を提案していて下さるのだそうですね。怒りではなく。

平和、平和、 遠くにいる者にも近くにいる者にも。 わたしは彼をいやす、と主は言われる。イザヤ書57:19

 キリストは 私たちの平和であります。エフェソ書2:14

          (ローズンゲン日々の聖句7/6;月)

 いと高くあがめられ、永遠の住まいに住み、 その名を聖ととなえられる方が、 心砕かれて、 へりくだった人とともに住んで下さるのだそうです。

 へりくだった人の霊を生かし、 砕かれた人の心を生かすために。

 私たち人間のむさぼりの罪のために、 あの方は、怒って私たちを打ち、 顔を隠して怒られたのだそうですが、 私たち人間は、なおそむいて、 あの方の御思いに心寄せることなく、 自分の思う道を行くばかりなのですね。

 その、そむきくばかりの私たち人間の姿を見られて、 天の神、主は言われるのだそうです。 「彼をいやそう。 わたしから出る霊と、わたしが造ったたましいが 衰え果てるから」(イザヤ57:15~18)と。

 私たち人間をいやし、平和を持つ者にするために、 天の神、主は、永遠の昔から共におられ、 共に天地創造に携わり、 この世界を支えておられる方、独り子である神と呼ばれる方を 人間イエスとして人間の世に送り、 この方を十字架刑で処刑することで 私たち人間のそむきの罪を処罰が終わったものとし、 そのうえで、もう一人の助け主、 聖である霊と呼ばれる方を、 受け入れる者の内に派遣して下さって、 この方の働きによって、 天の神、主の、私たち一人一人に関わる御思いを、 私たち一人一人、それぞれの心に書き記して下さって、 私たちを、天の神、主と心を通わせる者、 一つ思いを持つ者、 平和な関係を持つ者としていやし、生かして下さるのだそうです。

 この方によって私たちは、天の父と呼ばれる方の御前に、 このままで、はばかることなく 出て行けるようにしていただけるのだそうです(エフェソ2:18)。 「天の父よ」と呼ぶことができる身分にしていただいて。 今日も。

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