風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

自分の駄目さ加減を認めて

衣を裂くのではなく、 お前たちの心を引き裂け。 あなたたちの神、主に立ち帰れ。ヨエル書2:13

 徴税人は遠くに立って、 目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。 「神様、罪人の私を憐れんでください。」ルカ18:13

        (ローズンゲン日々の聖句7/13;月)

 心を裂く。 それは、この徴税人の心の姿のようなことなのでしょか。

 徴税人。それは、敵国、ローマ帝国のために税金を取り立てる人たちで、

ユダヤの人たちにとっては売国奴と思われていた人たちだそうです。

人々から嫌われてもそれをやるからにはそれなりの役得があったわけで、

ローマの権威を振り回して、ローマに納めるよりも多くの税金を取り立てて残りを自分のものとし、

自分のふところを肥やしていたので、よけいに嫌われ、

遊女や徴税人のやからと、神の律法の外にある者の代表のように扱われていたようです。

 イエスの話しでは、このような徴税人と、もう一人は、まじめで正しい生活が出来るよう、律法を忠実に守ろうと努力し、週に2度、断食をし、すべて手に入った物の10分の1を宮にささげていたパリサイ人の二人が祈るために神殿に行ったのだそうです。

 パリサイ人は、「神よ、私はほかの人のようにゆする者、不正な者、姦淫をする者ではなく、ことに、この徴税人のようではないことを、感謝します」と祈っていたのだそうです。  もう一人の徴税人は、遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸を叩いて、「神さま。こんな罪人の私を憐れんでください」って祈っていたのだそうです。

 イエスが言うには、神に義と認められて帰ったのはこの徴税人で、

努力家のパリサイ人のほうではなかったというのですね。 人間の努力では、表面的にはまじめに、立派にやっていけるけれど、心の中の思いは汚いものでいっぱいで、神様は、その心の中を見ておられるということでしょうか。

 天の神、主は、そのような私たちの心の思いを全部御自身に受け取って下さって、

御子である方を人間イエスとして人の世に派遣し、

このイエスを処罰することで私たちの悪のすべてを処分済みとし、

そのうえで、もう一人の方、聖である霊と呼ばれる方を私たちの内に派遣して、

私たち一人ひとりの心に、私たち一人ひとりに関わる御自身の御思いを置いて下さって、私たちの心の思いの出どころである霊を切り替え、

私たちを内側から、心のほうから変えて下さろうとしていらっしゃるのだそうですね。

 このイエスによる提案を受け入れたのは、自分の努力に自信のあるあのパリサイ人ではなく、

頭を下げ、胸を打ちたたいて悲しんでいた、自分の駄目さ加減を感じていたこの徴税人のほうだったということのようです。

 私たちも、自分の心のありのまままの実体を認めて、頭を下げて

天の神、主からの、このイエスによる提案を受け取って行きたいですね。 聖である霊と呼ばれる方によって、心に来る思いに目を向けて。 今日も。

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