風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

私たちは選べるのですね。どちらの道にするか。

主を畏れる人は誰か。
主はその人に選ぶべき道を示される。
詩編25:12

 あなたがたは神に愛されている子供ですから、
神に倣う者となりなさい。

キリストが私たちを愛してくださったように、
愛によって歩みなさい。
エフェソ書5:1〜2
      (ローズンゲン日々の聖句7/17;金)
 これが道だ。これに歩め、と進むべき道を示して下さる方なのだそうです。足もとの小道までも。
 神のひとりのようになろうとし、善悪を知る者となった私たち人間(創世記3:22)が、天の神、主の御声に聞こうとしない者、うなじのこわい、頑固な者であることは、人類の代表として選ばれた、イスラエル3500年の歴史を通しても実証済みなのでしょうが、天の神、主は、それでもなお、私たち人間を愛し、求め続けて下さって、その愛を限りなく現して下さっているのだそうです。
 約束の言葉のとおりに、独り子であられる方を人間イエスとして人の世に生れさせ、この方に人類の背きの責任のすべてを負わせて十字架刑で処刑し、神に呪われた者として、天と地との間に高く掲げて、人間にも、天使にも、サタンとその配下の者たちにもにもはっきりと公示されたのだそうです。
人間の背きの罪を処刑済み、処分済みにしたよ、と。
 そのうえで、もう一人の方、「妬むほどに愛しておられる方」、「聖である霊」と呼ばれる方を私たち人間、一人ひとりのうちに派遣して下さって、この方の働きで、私たち一人ひとりの心に、御自身の私たち一人ひとりに関わる御思いを書き記して下さって、私たちが望みさえすれば、私たちが御自身と思いを一つにして歩めるように道を開いていて下さるのだそうです(エゼキエル36:26~28)。
 それで、今は、私たちが望みさえすれば、私たちは、この方をお迎えし、天の神、主と思いを一つにし、天の神、主が私たち一人ひとりを通してしようと思っておられることをする者にしていただけるのだそうです。
 神に愛されている者として、子の身分を与えていただき、神に似せられていくようになるのだそうです。
 イエスを通して現して下さった人々への愛が私たちの心にも来るようになって、互いに相手のことを大事に思い、相手の益になることを考えるようになるのだそうですね。
不品行や汚れ、むさぼり、みだらなことや、愚かな話しや下品な冗談を厭うようになり、感謝の思いが来るようになるのだそうです。
暗闇だった心に光りが来て、今までは心の思いを隠す者でしたが、その思いの全部を主の御前に差し出し、見ていただき、光りの中の出来事、明るみに出された出来事にしていただいて、心の思いの隅々まで全部知っていただいている者、隠しているところが一つもない者、光りの子どもとしての、明るい、すがすがしい歩みをさせていただくようになるのだそうです(エフェソ5:1~19)。
それで、勧めて下さっているのですね。
この方、聖である霊と呼ばれる方をお迎えしなさい。
この方の存在に満たされなさい。沈められ、漬け込まれなさい。
上から覆っていただきなさい、と。
 今日も。
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