自分から話して来て欲しいのだそうですね。私たちに。
胎児であった私をあなたの目は見ておられた。 私の日々はあなたの書にすべて記されている。詩編139:16
ナタナエルはイエスに言った。 「どうして私を知っておられるのですか。」ヨハネ1:48
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(ローズンゲン日々の聖句7/18;土)
詩篇の作者はうたいます。 「私はあなたの御霊から離れて、どこへ行けましょう。 私はあなたの御前を離れて、どこへのがれましょう。
たとい、私が天に上っても、そこにあなたはおられ、 私がよみに床を設けても、 そこにあなたはおられます。 私が暁に翼をかって、海の果てに住んでも、 そこでも、あなたの御手が私を導き、 あなた右の手が私を捕えます。
たとい私が、 「おお、闇よ。私をおおえ。 私の回りの光よ。夜となれ」と言っても、 あなたにとっては、闇も暗くはなく、 夜は昼のように明るいのです。 暗闇も光も同じことです。
それはあなたが私の内臓を造り、 母の胎のうちで私を組み立てられたからです。
私がひそかに造られ、地の深い所で仕組まれたとき、 私の骨組みはあなたに隠れてはいませんでした。」(詩編139:7~15)
私たちの、この世での日々が、まだ1日もないうちに、 私たちのすべてが天の神、主の書物に記されたのだそうです。
私たちの全てを知っておられる方、なのですね。
そして、あのイエスがその方(その方々の一人)なのだというのですね。
その、私たちの全部を知っていて、責任のすべてをご自身で引き受けていて下さる方が、
私たちに、自分のほうから話して来て欲しいと仰っていて下さるのだそうです。
御前に、私たち、思いのすべてをそのまま差し出し、見ていただいて、
明るい出来事にしていただけるのだそうです。 光の中に差し出したことは光の出来事にしていただけるのだそうですから。 今日も。
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