風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

涙を、そしりを拭い去って下さるのだそうです。この方。

主なる神は、 すべての顔から涙をぬぐわれる。イザヤ書25:8
 私たちの主イエス・キリストの父である神、 慈愛に満ちた父、 慰めを豊かにくださる神がほめたたえられますように。 神は、あらゆる苦難に際して私たちを慰めてくださいます。Ⅱコリント書1:3~4

      (ローズンゲン日々の聖句7/20;月)

 「万軍の主はこの山の上で万民のために、 あぶらの多い肉の宴会、良いぶどう酒の宴会、 髄の多いあぶらみと よくこされたぶどう酒の宴会を催される。 この山の上で、 万民の上をおおっている顔おおいと、 万国の上にかぶさっているおおいを取り除き、 永久に死を滅ぼされる。 神である主はすべての顔から涙をぬぐい、 ご自分の民へのそしりを全地の上から除かれる。 主が語られたのだ。 その日、人は言う。 『見よ。この方こそ、 私たちが救いを待ち望んだ私たちの神。 この方こそ、私たちが待ち望んだ主。 その御救いを楽しみ喜ぼう。』」(イザヤ25:6~9)

 天の神、主は、独り子である方を私たちの身代わりに立てて人間イエスとしてこの地上に送り、私たちに代わって十字架刑で処刑し、さらに、三日目、日曜日の早朝、この方を復活させ、天の 元いた御自身の右の座に帰らせ、この方を通して、もう一人の助け主、聖である霊と呼ばれる方を私たちに派遣し、この方の働きで私たちの心にご自身の御思いを置いて下さって、私たちが望むなら、御自身と思いを一つにして歩む者に、として下さるのだそうです。

 こうして、私たちの、「的はずれになった者」「うなじの固い、自分の考えを押し通して、心を一つにしようとしない者」とのそしりを除いてくださり、私たちの顔から涙をぬぐって下さるのだそうです。

 あらゆる苦難を共にして、通り過ぎさせて下さり、 その日、その日の必用をその日、その日に備えて下さるのだそうです(マタイ6:24~34)。

 そして、あの山の上での大宴会に私たちも招待されるというのですね。ヒゼキヤ王の時に再開されたあの過越しの祭りの時のように歴代誌下30:13~22)。

 

 約束して下さったこの方の、私に関わる御思いを求めて歩みます。 今日も。

[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]

 

<a href="http://www.blogmura.com/point/00697809.html">< img src="http://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv00697809.gif" alt="PVアクセスランキング にほんブログ村" /></a>

 

[269RANKのランキングサイト]

 

"哲学・思想 ブログランキングへ"