有ろうと思われるとおりに在る方なのだそうですね。あの方。
主に不可能なことがあろうか。創世記18:14
恐れることはない。ただ信じなさい。マルコ5:36
(ローズンゲン日々の聖句8/5;水)
...
モーセが天の神、主に名前を尋ねたとき、
主は「わたしはある。」「わたしは有って有る者」、
あろうと思うままにある者だと告げられたのだそうです(出エジプト3:14)。
この方がこうしようと思われて出来ないことはないということでもあるのでしょうか。
若い時から子供を望みながらできなかった夫婦。
夫のアブラハは100歳に近く、10歳年下の妻サラも、
普通の女性にあることがすでに止まっていて、
男の子が出来ると言われても、サラは笑うしかなかったのだそうです。
が、「主に不可能なことはない」のですね。
御使いとして現れた独り子と呼ばれる神の言われたとおりに、
1年後、サラには男の子イサクが生まれることになったのだそうです(創世記18:10~15、21:1~2)。
会堂管理者ヤイロに、「あなたのお嬢さんはなくなりました」との知らせの中で、イエスは「恐れることはない。ただ信じなさい」と言われ、娘を生き返らせて両親に返されたのだそうです(マルコ5:21~24、35~43)。
父である神と呼ばれている方と心を一つにしていらっしゃる独り子である神、御子イエス、御父のしようと思っていらっしゃる御思いがよく分かっていて、必ず、御思いの通りが実現することが分かっておられたのですね。
イエスが、この「わたしはある」方であると信じていたので、重い皮膚病(あるいはハンセン病)を患っていた人は、イエスに「お心一つで、私を清くしていただけます」と願ったのだそうです。
「わたしはある」と呼ばれる方がどう思っておられるかが問題のようですね。
聖である霊と呼ばれる方は、ご自身を受け入れる者の内に来て下さって、父と呼ばれる方の御思いを私たちの心に置いて下さって、私たち一人一人に関わる御思いを共有させて下さるのだそうです。
有ろうと思われるとおりに在る方の、御思いについて行きたいですね。
今日も。
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