風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

心の奥底まで見抜かれる方の前で

いかに幸いなことか、
 主を神とする国、主が嗣業として選ばれた民は。詩編33:12(今週の聖句)

  主はすべての心を探り、
すべての考えを奥底まで見抜かれる。歴代誌上28:9
...

 あなたが祈るときは、
 奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、
 隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。
そうすれば、隠れたところを見ておられるあなたの父が報いてくださる。マタイ6:6

        (ローズンゲン日々の聖句8/9;日)

 天の神、主は、人を高い位に着け、また、引き下ろす方。
 野で羊を飼う少年ダビデを取ってイスラエルの王とし、
その多くの子どもの中からソロモンを選び、
 王位を継ぐ者にされた方。
  この方は、人の心の奥底まで見ておられる方。
 行動に現れた表面だけではなく、その心の奥底まで見ておられ、その思いの向かうところを読み取られる方。
  祈りにおいても、イエス在世当時の神に熱心な人と目されていた人たちは、人に見られたくって会堂や通りの四つ角に立って祈るのが好きだったようです。
  私たち、そこまでではないにしても、それでも、集会の中や何人か人のいるところで祈るときは、それなりに神に熱心なような祈りをしています。
  けれども、一人になったとき、誰もいない時に、神にどう向かっているのか。
あるいは、私たち、切羽詰まった、どうしても聞いてもらいたい問題があるときは熱心に祈りますけれど、平穏無事、順調な日々においてはどうなのか。
 神を求める心が本当にあるのか。
あの方は私たちのその本心を見ておられるということのようですね。

 私たち、天の神、主と一つ心になりたい思いなど無い者。自分の願いの通りに神を動かそうとする心しかないものであることを認めて、イエスによる身代わりの処罰による赦しをいただき、聖である霊と呼ばれる方をお迎えして、天の父と呼ばれている方の、私に関わる御思いを心にいただいて、この方と心を、そして行動を一つにしていく者としていただきたいですね。
この新しい週も。


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