風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

7の70倍までも、赦されて

 神は高慢な者を敵とし、
謙遜な者には恵みをお与えになる
。Ⅰペテロ5:5(今週の聖句)
 ヨセフの兄は彼に尋ねた。
「あなたの父の神に仕える僕たちの咎を赦してください。」
創世記50:17
 ペテロがイエスのところに来て言った。
「主よ、兄弟が私に対して罪を犯したなら、
何回赦すべきでしょうか。7回までですか。」
イエスは言われた。
「あなたに言っておく。
7回どころか、7の70倍までも赦しなさい。
マタイ18:21~22
      (ローズンゲン日々の聖句8/16;日)
 ヨセフの兄たち10人は、父、ヤコブが死んだので思ったのだそうです。「ヨセフはわれわれを恨んで、われわれが犯したすべての悪の仕返しをするかもしれない」と。
そこで、彼らは、父が言い置いていったかのようにことづけしてヨセフに言ったのですね。
「あなたの父は死ぬ前に命じて言われました。
『あなたの兄弟たちは実に、あなたに悪いことをしたが、どうか、あなたの兄弟たちのそむきと彼らの罪を赦してやりなさい』と。
今、どうか、あなたの父の神のしもべたちのそむきを赦してください」と。
 兄たちはかって、若いヨセフが、父から自分たちよりも愛されていること、自分たちよりも偉くなるような預言的な夢を見たと話したことで、ヨセフを憎み、野で捕えて殺そうとし、エジプトへ行こうと通りかかったイシュマエル人に売り飛ばしてしまったのですから。
 けれども、ヨセフは答えたのだそうです。
「恐れることはありません。どうして、私が神の代わりでしょうか。あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとなさいました。
それは今日のようにして、(私をエジプトの王に次ぐ者にして、神の御心の通りの統治をさせ、飢饉から、)多くの人々を生かしておくためでした」と。(創世記50:15~21)
ヨセフは、自分の人生が、神の御手の中で動かされているものであることを知っていたということのようですね。
 私たち、「善悪を知る者」になって、天の神、主と思いを一つにして生きる道を嫌い、自分一人の判断で善悪を決めていく者になっている者は(創世記創世記3:22)、自分の受けた悪に対しては、7倍の復讐では気がすまず、77倍の復讐をする者(創世記4:24)なのですね。
それで、復讐は、「歯を1本折られたら、歯、1本まで。目を片方つぶされたら、目、片方まで」と、わざわざ制限をつけなければならない者になってしまっています。
 天の神、主は、そのような、復讐し合うことにとどまることを知らない、ずれてしまっている私たち、「生まれたときからの霊」を、イエスを十字架刑で処刑することで、処刑されてしまっているものと手続きして下さり、イエスに代わって、もう一人の方、「聖である霊」と呼ばれる方を、この方を受け入れる人たち一人ひとりの内に派遣して下さって、この方の働きで、私たちの心に、天の神、主の思いと一つ思いが来るようにしていて下さるのだそうです。
 それで、77倍の復讐をしたい私たちの心にも、この方が私たちを赦していて下さるのと同じ、7の70倍でも赦す思いが来るようになるのだそうです。
 この方をお迎えし、心に来る御思いについて行く、平和な生き方をしたいですね。
この新しい1週間も。
 
イメージ 1
 
 

 

 

 

 

<a href="http://www.blogmura.com/point/00697809.html"><imgsrc="http://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv00697809.gif"alt="PVアクセスランキング にほんブログ村"/></a>

 

 

 

 

 

"哲学・思想 ブログランキングへ"