風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

唇を制すれば、成功するのだそうですが、

 口数が多ければ罪は避けえない。
 唇を制すれば成功する。箴言10:19

 あなたは、自分の言葉によって義とされ、
また、自分の言葉によって罪あるものとされる。マタイ12:37
 
      (ローズンゲン日々の聖句8/17;月)

 善い人間でありたいと願う人は、唇を制し、悪い言葉が口から出て来ないよう努力するのですが、天の神、主は、表れた言葉だけでなく、その言葉の出どころの心を、その心の源である「霊を」問題にしておられ、その霊を取り替える道を開いて下さっているのだそうですね。

 木(その人の霊)が良ければ、実(言葉、現れた行動)も良いものだし、木が悪ければその実も悪いものになる。木の良し悪しはその実によって知られるように、人は、霊の思いが心の思いとなり、心の思いが言葉となって口から出て来るので、霊は見えませんが、その良し悪しは口から出て来る言葉によって分かるもののようです。
 「心にもないことを言う」ということも確かにあるにはありますが、多くの場合、言葉によってその人(霊)がどう思っているのか、どんな人なのかが分かるのでしょうね。

 天の神、主と思いを一つにする者であるのか、善悪を知る者、天の神、主に対立、対抗している者であるのか、
 天の神、主の創造の目的に沿った者であるのか、それから大きく外れている者であるのか(創世記3:22)、
 自分を造って下さった方に心を寄せている者なのか、自分の理性・判断だけを優先させ、自分の思うものを神としている者であるのか(エゼキエル17章)、

ということも言葉に表れてくるということのようです。

 


 「主のみ名を呼び求める者は、だれでも救われる」(ロマ10:13)と約束され、
 「人は、心に信じて義と認められ、口で告白して救われる」(ロマ10:10)と言われています。
  私自身という「生まれたときからの霊」は、悪い木、天の神、主の、「私たちが一つになっているように、私たちと一つになる者が欲しい」(創世記1:26)との創造目的からはずれてしまっている者であることを認め、イエスの十字架刑での処刑に合わせられて処刑済みの手続きが済ませて下さっていることをいただいて、口で言い表し、復活されたこのイエスによって派遣して下さっている「聖である霊」と呼ばれる方をお迎えし、良い木に接ぎ木されたもの、霊を取り替えた者としていただいて、この方が心に置いて下さる御思いに沿った言葉、相手を祝福し、気落ちした者を立ち上がらせ、悲しんでいる人を慰め、平和にし、うれしく、ほっとさせる言葉が口から出て来る者にしていただけるのだそうですね(ガラテヤ5:25)。私たち。
 今日も。


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