風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

傷つき、折れかけた葦、くすぶり消えかけている灯心のような私たちを。

彼は傷ついた葦を折ることなく、
暗くなっていく灯心を消すこともない。
イザヤ42:3(今週の聖句)
 彼は疲れた者に力を与え、
勢いを失っている者に大きな力を与えられる。
イザヤ40:29

...

 それゆえ、私は弱さ、侮辱、窮乏、迫害、
そして行き詰りの状態にあっても、
キリストのために満足しています。
なぜなら、私は弱い時にこそ強いからです
。Ⅱコリント12:10
      (ローズンゲン日々の聖句8/23;日)
 天の神、主は言われます。
「見よ、わたしのささえるわたしのしもべ、
わたしの心に喜ぶわたしが選んだ者。
わたしは彼の上にわたしの霊を授け、
彼は国々に公義をもたらす。
彼は叫ばず、声をあげず、ちまたにその声を聞かせない。
彼はいたんだ葦を折ることもなく、
くすぶる燈心を消すこともなく、
まことをもって公義をもたらす。
彼は衰えず、くじけない。
ついには、地に公義を打ち立てる。
島々も、その教えを待ち望む。」(イザヤ42:1~4新改訳)
「ヤコブよ。なぜ言うのか。
イスラエルよ。なぜ言い張るのか。
『私の道は主に隠れ、
私の正しい訴えは、私の神に見過ごしにされている』と。
あなたは知らないのか。聞いていないのか。
主は永遠の神、地の果てまで創造された方。
疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。
疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。
若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。
しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、
鷲のように翼をかって上ることができる。
走ってもたゆまず、歩いても疲れない」(イザヤ40:27~31)と。
 この遣わされた方が、折れかけた葦、まさに今、消えかけ、暗くなり、くすぶっている灯心のような私たちをそのまま受け入れ、私たちのそむきの罪の責任のすべてを御自身に背負って下さって、ひと言の弁明も、抗議の声も上げないで、みずから、黙って十字架刑での処刑を受け切って下さったのだそうです。
 そして、この方に「私の霊を授け」と言われているのと同じように、今度は、私たちの内にも「聖である霊」と呼ばれる方を派遣して下さって、折れかけていた葦、消えかけている灯心のような私たちの心にも、ご自身の正義と公義の御思い、平和と憐れみの御思いを来させて下さるのだそうです。
「私の霊」と呼ばれる方、「聖である霊」と呼ばれる方が、この方を受け入れる、一人ひとりの内に来て働き、導いて下さるのだそうです。
 だから、私たち、この方をお迎えし、心に置いて下さる御思いについて行きさえすればいいのだそうですね。
自分で自分を、強く、元気に、良い者に、立派なものにしなくても。
傷つき、折れかけている葦、消えかけくすぶっている灯心のような私のまま、弱いままで。
自分で自分をなんとかしようと力を入れないで、弱いままで、力を抜いてこの方に身をゆだねていくなら、パウロのように、弱さ、侮辱、窮乏、迫害、行き詰りの状態にありながらも、この方の働きは、鷲が翼をかって上って行くように現れて下さるのだそうですね。
この新しい一週間も。
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