風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

ともかく、出て行ってみるといいのだそうですね。導きのとおりに

主は御使いを遣わされた。創世記24:7
主の天使はフィリポに、
「ここをたって南に向かい、エルサレムからガザへ下る道に行け」と言った。
そこは寂しい道である。
フィリポはすぐ出かけて行った。
使徒8:26~28

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      (ローズンゲン日々の聖句10/1;木)
 天の神、主は、私たちを遣わして何かをしようと思われるとき、私たちの先に御使いを遣わし、私たちが事を行えるように、整えてくださるようですね。
 エルサレムでイエスの弟子、ステパノが殺害され、激しい迫害が起こったとき、フィリポはサマリヤの町へ行き、イエスによる救いの知らせを伝え、多くの人がイエスを信じ受け入れたのだそうです。
 そのあと、主は、フィリポに、「エルサレムからガザへ下る道に行け」と言われたのだそうですが、そこは寂しい道で、人のいない、ほとんど人の通らない所だったようですね。そんなところに行ってなんになるのかと思えるような。
 けれども、フィリポは、すっと従えたのか、いろいろやり取りはあったのかもしれませんが、ともかく、言われたとおりにそこに出かけて行ったのだそうです。
するとどうでしょう。ちょうど、エルサレムから下って来たエチオピアの女王カンダケの高官に出会い、
彼が読んでいたイザヤ書53章の、
ほふり場に連れて行かれる羊のように、
また、黙々として、毛を刈る者の前に立つ小羊のように、
彼は口を開かなかった。
彼は、卑しめられ、そのさばきも取り上げられた。
彼の時代のことを、だれが話すことができようか。
彼のいのちは地上から取り去られたのである。」の箇所が、
イエスについて語られた預言であり、この預言の通りにイエスは十字架刑で処刑されて、私たちに救いを与えて下さっていることを解き明かし、この宦官はイエスを信じ、フィリポからバブテスマを受け、喜びながらエチオピアに帰って行ったのだそうです(使徒8:26~39)。
 私たちも、「聖である霊」と呼ばれる方によって、心に「父である神」と呼ばれる方からの思いが来たとき、いろいろ思うかもしれませんが、その思いも全部申し上げ、聞いていただいて、ともかく、その思いについて行ってみると、天の神、主のほうで道を備えていて下さって、主の御業を見ることになるのだそうですね。
今日も。
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