風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

尊敬をもって、互いに相手を優れた者と思うようにしていただけるのだそうですね。私たち。

主は言われた。
 わたしが喜ぶのは愛であっていけにえではなく、
 神を知ることであって、焼き尽くす献げ物ではない。
ホセア書6:6
愛に偽りがあってはなりません。
 悪を憎み、善から離れず、兄弟愛をもって互いに愛し、
 尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。
ロマ書12:9~10
      (ローズンゲン日々の聖句10/8;木)
 宗教行事を盛んにし、多くのささげ物をしながら、自分の思いのままに生き、貧しい者、弱い者を顧みようとしない。それはわたしの喜ぶところではないと、天の神、主はおっしゃるのですね。
 私たち、「生まれたときからの霊」は、天の神、主と一つになることを厭い、自分の理性の判断を最良にものとし、自分が頭になって、自分の理性で善悪を裁定していこうとする道を選び取った者、「神のひとりのようになり、善悪を知るようになった者」(創世記3:22)の子孫として生まれ、自分を他の人よりいかにか優れた者に、立派の者に、知恵ある者に、力ある者にするかに血道をあげ、他を引きずりおろし、見下し、自分が優位に立とうとし、良いもののすべてを自分一人で独占しようとしていく者です。
 天の神、主は、そのような、「生まれたときからの私」という霊を、御子イエスの十字架刑での処刑に合わせられたものとし、処刑されたもの、死んだものとしての手続きを完了して下さっているのだそうです。
 そして、この、イエスの処刑の死を、自分の処刑の死と受け取った者の内に、もう一人の助け主、「聖である霊」と呼ばれる方を派遣して下さって、この方によって、私たちの心に、ご自身の御思いを置いて下さるのだそうです。
それで、私たち、一人一人の心にも、天の神、主の、私たち一人一人に関わる思いが来るので、私たちも、偽りのない愛、悪を憎み、善から離れない心、互いに愛し合い、相手を尊敬し、優れた者と思う思いが来るようにもなるのだそうですね。
今日も。
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