風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

国々でさえも、てんびんの上の、ほこりの一つぶのよう、なのだそうです。あの方から見ると

見よ、
 国々は革袋からこぼれる一滴のしずく、
  天秤の上の塵と見なされる。
イザヤ書40:15
私はまた、別の天使が空高く飛ぶのを見た。
 この天使は、地上に住む人々、
  あらゆる国民、種族 、言葉の違う民、民族に
  告げ知らせるために、
    永遠の福音を携えて来た。黙示録14:6
      (ローズンゲン日々の聖句10/22;木)
 
 天の神、主からみると、国々は一滴のしずくのよう、
あるいは、秤の上の埃の一粒のようだと。

 イザヤは言うのですね。
「だれが、手のひらで水を量り、
手の幅で天を推し量り、
地のちりを枡に盛り、
山をてんびんで量り、丘をはかりで量ったのか。
だれが主の霊を推し量り、
主の顧問として教えたのか。
主はだれと相談して悟りを得られたのか。
だれが公正の筋道を主に教えて、 知識を授け、英知の道を知らせたのか。
見よ。国々は、手おけの一しずく、
はかりの上のごみのようにみなされる。
見よ。主は島々を細かいちりのように取り上げられる。
レバノンも、たきぎにするには、足りない。
その獣も、全焼のいけにえにするには、足りない。
すべての国々も主の前では無いに等しく、
主にとっては
むなしく形もないものとみなされる。

  ~ ~ ~
あなたがたは知らないのか。聞かないのか。
初めから、告げられなかったのか。
地の基がどうして置かれたかを
悟らなかったのか。
主は地をおおう天蓋の上に住まわれる。
地の住民はいなごのようだ。
主は天を薄絹のように延べ、
これを天幕のように広げて住まわれる。
君主たちを無に帰し、
地のさばきつかさをむなしいものにされる。
彼らが、やっと植えられ、やっと蒔かれ、
やっと地に根を張ろうとするとき、
主はそれに風を吹き付け、彼らは枯れる。
暴風がそれを、わらのように散らす。
『それなのに、わたしをだれになぞらえ、
だれと比べようとするのか』と
聖なる方は仰せられる。
目を高く上げて、
だれがこれらを創造したかを見よ。
この方は、その万象を数えて呼び出し、
ひとつひとつ、その名をもって、呼ばれる。
この方は精力に満ち、その力は強い。
一つももれるものはない。」(イザヤ40:12~26新改訳)
 この方の御前に歩むのですね。私たち。
今日も。
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