風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

私たちの労苦と悩みに目を留めていてくださるのだそうですね。あの方

神は、
 私の労苦と悩みを目に留められました。
創世記31:42
マリアの言葉
「私の魂は主をあがめ、

私の霊は救い主である神を喜びたたえます。
身分の低い、この主のはしためにも
目を留めてくださったからです。」
ルカ1:46~48
      (ローズンゲン日々の聖句10/26;月)
  兄エサウから、長子の権を奪い、父イサクが老齢で目が見えなくなっていることをいいことにして、兄のふりをして父をだまし、祝福(家督相続の権利)を奪ってしまったふたごの弟のヤコブ。
 兄の怒りを恐れて、ハラン(メソポタミアの北西部、ユーフラテス川の上流、シリアとトルコの国境のあたり)の母リベカの実家へのがれ、伯父ラバンのもとで20年間を過ごしたヤコブ。
叔父ラバンは、ヤコブに、報酬を与えたくなかったようですが、天の神、主がヤコブとともにおられて、ヤコブの労苦と悩みを見ておられ、ヤコブを祝福し、息子を12人、羊などの多くの財産と使用人を与えて、カナン(今のイスラエル)の地に返されたのだそうです。
 二つ目の言葉は、聖母マリアと仰がれる人の言葉なのですね。これ。
 天の神、主は、ナザレというユダヤでは評判のよくないへんぴな村里に住む、身分の低い(ダビデ王の家系ではありましたが)、貧しい一人の女性に目を留め、救い主、キリストの母として選ばれたのだそうです。
 およそ2000年ほど前、苦難の中にあったヨブが、「私は知っている。私を贖(あがな)う方は生きておられ、後の日に、ちりの中に立たれることを」(ヨブ19:25)と叫んだとおりに。
 天の神、主は、私たちとともにおられて、私たちの労苦と悩みに目を留めてくださっているのだそうですね。
「知恵のある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を、この世の取るに足りないものや見下されている者を、あえて選んで、用いてくださるのだそうですね(Ⅰコリント1:27~28)。
今日も。
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