風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

平和を実現する者に。自分自身の内にも、周りにも

忍耐は力の強さにまさる。
 自制の力は町を占領するにまさる。
箴言16:32
平和を実現する人々は、幸いである。
 その人たちは神の子と呼ばれる。
マタイ5:98

...

      (ローズンゲン日々の聖句11/23;月)
 怒りを抑え、忍耐する者は勇士にまさり、自分の心を治め、
自制する者は町を攻め取る者にまさるのだそうです。
 私たち、天の神、主と思いを一つにしていくことを止め、自分を「神の一人のようになり、善悪を知る者になっている」(創世記3:22)者の子孫として、自分の判断が一番正しいとし、自分の思いのままに生きたい性質を受け継いでいますから、自分の心を治めることは難しいのでしょうね。
 主の兄弟ヤコブは、「舌は火であり、不義の世界です。舌を制御することはだれにもできません。それは少しもじっとしていない悪であり、死の毒に満ちています。」ヤコブ3:2~8)と書き残していますが、自分の心を自分で制御することは難しいようです。
 天の神、主は、そのことをよくご存じで、ことばの出どころである心の思い、その出どころである「生まれたときからの霊」と呼ばれる私自身を、イエスの十字架刑での処刑に合わせて、死んだものと手続きしてくださったのだそうです。
 そのうえで、これを受け入れる人の内に、もう一人の方、「聖である霊」と呼ばれる方を派遣してくださって、この方の働きによって、御自身の思いを、受け入れる者一人一人の心に置いてくださるのだそうです。
 それで、これを受け入れる者は、「生まれたときからの霊」という私自身から出て来る思いを「死んでしまっている者から出て来た思い」として、横に眺めながら、「聖である霊」と呼ばれる方から来る思いのほうを、自分の思いとし、この思いについて行く生き方をする者となり、日々、刻々に、「心の一新」(ロマ12:2)をいただいていく者としていただけるのだそうです。
 そのような生き方を受け取る者に対して、イエスは、「わたしの行うわざを行い、それよりもさらに大きなわざを行う」(ヨハネ14:12)とおっしゃるのですね。
平和を実現するわざを。
天の神、主との関係に平和が来、自分自身の心の内に平和が来、周りに平和が来るのだそうです。
 今日も。
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