風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

感謝の献げものを。この方に

収穫物の初物をささげて主を敬え。箴言39
 
イエスが話したとえ話の中で、金持ちが言った言葉。
「さあ、これから先、
 何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。
  ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ。」
しかし神は彼に
 「愚かな者よ」と言われた。ルカ1219  
 
     (ローズンゲン日々の聖句11/25;水)
 
 天の神、主は、私たち人間を造ろうとされたとき、
まず、天と地を創造し、
光を造って、光と闇を分け、
大空の上の水と大空の下の水とを分け、
大空の下の水の境界を定めて、陸地と海とを分け、
地に、種類にしたがって植物を生じさせ、
昼には太陽が、夜には月と星が地上を照らすようにさせ、
水の中に生き物を、地の上、空を飛ぶ鳥を種類にしたがって創造し、
地が、種類にしたがって生き物、家畜、はうもの、野の獣、を生じるようにさせ、
人間が暮らすのに、何一つ不自由のない環境を造った上で、
「さあ、人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて」と
おっしゃられたのだそうです(創世記1章)。
 
 また、母親の胎の中で私たち一人一人を組み立てたのは、「わたしだ」とおっしゃるのだそうです(詩編139:16)。
 
 私たち人間は、自分が生きていくために、自分で創造したものは何一つなく、全部、天の神、主が用意していて下さるものを利用しているだけ、のようですね。
 
 それで、私たちが、そのことを認め、「全部、あなたが用意してくださったものです」と、感謝の表れとして、財産とすべての収穫の初物を献げるのは、人間として正しい在り方なのだそうです。
 
 天の神、主は、倉を豊かに満たされ、酒ぶねは新しいぶどう酒で溢れさせてくださるのだそうです(箴言3:10)。
 
 しかし、この方を認めない者は、自分の力だけで生きているかのように思い、自分の力で将来のための全部を用意しなければならないと考えます。
それで、貪欲に、自分のものを確保しなければ、と奔走することになります。
 
 イエスは、「どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。なぜなら、いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです。」と言われて、この、豊作で作物がたくさんできて、倉を建て替え、作物をたくさんしまい込んで、安心している農夫の話しをされ、その考え方は愚かだとおっしゃられたのだそうです。
「おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。
そうしたら、おまえの用意した物は、いったいだれのものになるのか。
自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。」と。
 
 そして、「何はともあれ、あなたがたは、神の国(支配、働きの現れ)を求めなさい。そうすれば、これらの物(食べる物、着る物)は、それに加えて与えられます」と仰られたのだそうです(ルカ12:13~31)。
 
 私たちの罪を背負って十字架刑で処刑されてくださり、復活し、天の父である神の右の座に着かれているイエスが派遣してくださる、「聖である霊」と呼ばれる方をお迎えし、「天の父」と呼ばれる方の、私たち一人一人に思っていてくださる御思い、ご計画の中を生きて、その結果を、「あなたの働きの現れです」と感謝していきたいですね。
今日も。
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