風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

恵みの言葉が働くのだそうですね。私たちにも

これらはすべて私の手が造り、
 これらはすべて、それゆえに存在すると主は言われる。
わたしが顧みるのは苦しむ人、
 霊の砕かれた人、
  わたしの言葉におののく人。イザヤ書66:2
 
パウロの言葉:
今、神とその恵みの言葉とにあなたがたをゆだねます。
 この言葉は、
  あなたがたを造り上げることができるのです。使徒20:32
 
          (ローズンゲン日々の聖句11/28;土)
 
  「わたしのために、あなたがたが建てる家は、
いったいどこにあるのか。
私のいこいの場は、いったいどこにあるのか」と
天の神、主は言われるのですね。
 
 「天はわたしの王座、地は私の足台。
これらすべては、わたしの手が造ったもの、
これらすべてはわたしのものだ」(イザヤ66:1~2)と。
 
天も地も、そして、私たち人間も、
これを、こう造ろうと思われた、
その御思いに存在の根拠を置くものなのだそうです。
 
 私たちの祖先は、この方の御思いにとどまることをいさぎよしとせず、
自分が、造り主の一人のようになり、
自分一人の理性の判断で、善悪を決め、
他をこれに従わせようとする道を選び取り
天の神、主、創造者に対抗する者になったのだそうです。
 
 私たち、その子孫として、そのようなものとして生まれて来ていますが、
そのようなものであることを知り、苦しみ、悲しむ者、
霊の砕かれた人、
天の神、主の言葉におののく者に、
主は、目を留めてくださっているのだそうです。
 
 今は、約束のとおりに、
「神のことば」と呼ばれている方が、人間イエスとなって、
人間の世に生れてくださり、
私たち、すべての人間の、すべての罪を御自身の身に背負って、
反逆者として十字架刑で処刑され、
天と地との間にさらしものにされてくださり、
 
三日目、日曜日の早朝、墓よりよみがえり、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、教えられ、
弟子たちの見守る中で天に帰られ、
天の父である神と呼ばれる方の右の座に着き、
もう一人の方、「聖である霊」と呼ばれる方を、
この方を受け入れる、一人一人のうちに派遣してくださって、
この方の働きによって、
「父である方」が、私たち、一人一人に対して思って下さっている御思いを、
それぞれの心に置いてくださるのだそうです。
 
 それで、私たち、この「的はずれ」になっている者も、
この、イエスに合わせられて、
私たち自身である「生まれたときからの霊」を処刑されもの、
死んでしまったものと手続きしていただいて、
「聖である霊」と呼ばれる方が心に置いてくださる
「御思い」、「言葉」によって生きていく者にしていただけるのだそうです。
 
 この「言葉」は、私たちを育成し、
すべての聖なるものとされた人々の中にあって、
御国を受け継がせてくださるのだそうです。
 
今日も。
 
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