風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

すべて、主イエスの名によってする

恵み深い主に感謝せよ、慈しみはとこしえに。詩編1061
 
何を話すにせよ、行うにせよ、
 すべてを主イエスの名によって行い、
  イエスによって、父である神に感謝しなさい。コロサイ書317
 
       (ローズンゲン日々の聖句12/15;火)
 
 イエスは、話すことのひと言ひと言も、行いの一つ一つも、自分から発した言葉はひとつもなく、自分から行動したことは一つもないのだそうですね。ぜんぶ、父である神と呼んでおられる方が話そうとされることを話し、父がしようとしておられることをしておられたのだそうです。
「すべてを父である神の名によって行い、父である神に感謝しておられた」ようですね。
それをイエスの言葉によって探ってみると、次のように言われています。
 
「わたしを遣わした方は真実であって、わたしはその方から聞いたことをそのまま世に告げるのです。」ヨハネ826
 
「わたしはいつも、そのみこころにかなうことを行うからです。」ヨハネ829
 
「わたしは、自分から話したのではありません。わたしを遣わした父ご自身が、わたしが何を言い、何を話すべきかをお命じになりました。わたしは、父の命令が永遠のいのちであることを知っています。それゆえ、私が話していることは、父がわたしに言われたとおりを、そのままに話しているのです。」ヨハネ124950
 
「しかしそのことは、わたしが父を愛しており、父の命じられたとおりに行っていることを世が知るためです。」ヨハネ1431
 
イエスは言われた。「あなたがたが人の子を上げてしまうと、その時、あなたがたは、わたしが何であるか、また、わたしがわたし自身からは何事もせず、ただ父がわたしに教えられたとおりに、これらのことを話していることを、知るようになります。」ヨハネ8
 
 それゆえに、イエスは、「わたしと父とは一つです」と言い得たのでしょうか。
わたしたちもイエスに合わせられ、似せられていく者として、「父との一つ」、すべてを主イエスの名によってする、父である神の御思いのとおりに生きていらっしゃるイエスの御思いのとおりに生きる者にしていただけるのだそうですね。「聖である霊」と呼ばれる方のお働きによって。
今日も。
イメージ 1
 
 
 
 

 

 

 

 

<ahref="http://www.blogmura.com/point/00697809.html" ><imgsrc="http://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv00697809.gif"alt="PVアクセスランキング にほんブログ村"/></a>